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女子プロ野球が開く新時代の扉~女子野球の現在と未来~

女子プロ野球が開く新時代の扉 ~女子野球の現在と未来~

(2010年に野球ムックに掲載したものに加筆、再構成したものです。)

女子プロ野球の観客たち(わかさスタジアム京都、10年

 08年8月の第3回女子野球ワールドカップでの初優勝、同年12月のプロ野球選手・吉田えりの誕生、09年8月の日本女子プロ野球機構の発足と、わずか1年の間に起きた3つの出来事が、日本の女子野球の流れを変えた。
 女子野球を、男子と並ぶ一つの独立した競技として認めてもらおうという機運が高まったのと同時に、女子選手自身の意識が「大好きな野球をできるだけ長く続けたい」という水平思考から「日本代表やプロ野球選手になりたい」という垂直思考に変わったのだ。

 今、女子野球は新たな歴史の扉を開こうとしている。

30年以上にわたって女子野球を支えてきた軟式野球

 女子野球の未来を語る前に、これまで日本の女子選手が置かれてきた状況を見てみよう。

 女子が野球を続ける場合、最大の障害になってきたのが高校野球の壁だ。「公式戦に出られるのは男子に限る」とする高野連の大会参加者資格規定がそれで、これがあるために女子は甲子園はおろか地方大会にも出られない。
 そのため、この壁を前に今まで数え切れないほどたくさんの女子選手が野球を諦めていった。特にソフトボールのオリンピックや世界選手権の日本代表選手には、野球を続けられずに転向した選手が何人もいることが知られている。

 もちろん、その壁を内側から崩そうと試みた人々もたくさんいる。ほかならぬ現役女子高校野球部員たちだ。
 私の知る限り70年代から自分たちの苦しい状況を訴え、「女子も公式戦に出して」と高野連に手紙を書く選手が何人もいたのだ。

 また、指導者たちも女子選手を公式戦に出すべく苦労を重ねてきた。始球式に起用するのはもちろん、女子選手に監督ナンバーを与えてベンチ入りさせるといった苦肉の策を用いた指導者もいたほどだ。
 01年には高知県の教育長が、頑張っている女子選手がいるのだから、女子も試合に出られるよう規定を改めてほしいという趣旨の要望書を高野連に提出したが、「安全面で問題がある」という理由で取り合ってもらえなかった。

軟式の全国大会(東京都、江戸川区球場)

 こんな苦しい時代を支えてきたのが、壁の外で独自の活動を続けてきた女子軟式野球クラブと大学女子軟式野球だ。

 女子軟式野球クラブの歴史は戦後に始まるが、今に続く体制で運営されるようになったのは88年の関東女子軟式野球連盟(以下関女連)の設立からだ。
 関女連には当初から小学生から大人までたくさんのチームが加盟し、学校や職場で野球を続けられない女子選手の受け皿になってきた。現在は関女連を含む全国11の連盟や支部を全日本女子軟式野球連盟が束ね、09年現在、一般チーム70、中学生チーム6、高校生チーム6という大きな組織に成長している。その目指すところは「生涯野球」だ。

日体大(11年)

 一方、大学女子軟式野球は80年に神戸山手女子短期大学に軟式野球部ができたことに始まる。高校で野球を続けられずに中断していた選手、大学で初めて野球をする機会がもてた選手などが集まって、09年は関東で14、東海で7、北陸と関西でそれぞれ3の、合計27チームが活動している。束ねるのは全日本大学女子野球連盟で、全国大会も86年のプレ大会以降、毎夏富山県魚津市で開かれている。
 02~08年には日本体育大学が前人未到の7連覇を成し遂げ、鮮やかな水色のユニフォームがスタンドに揺れた。95年からはこの大学日本一とクラブチーム日本一による頂上決戦も行われており、軟式選手たちの大きな目標になっている。

 このように約30年にもわたって女子選手に活躍の場を提供してきたクラブチームと大学野球だが、共にたくさんの野球やソフトボールの指導者を生み、女子野球環境を整える人材を輩出してきたことも忘れてはならない。今回プロの世界に身を投じた軟式出身の選手たちは、こうした先人が作り上げた女子野球の揺りかごのなかで育ってきたのである。

急成長する女子硬式野球と、遅れる環境作り

 女子硬式野球が本格的に始動したのは97年のこと。すでに定着していた女子軟式野球とは関係なく、中国や韓国の女子硬式チームとの親善試合のために、全国高等学校女子硬式野球連盟が発足したことに始まる。

埼玉栄高校(09年)

 そして同年、神村学園高等部(鹿児島)と埼玉栄高、花咲徳栄高(共に埼玉県)に女子硬式野球部ができ、第1回の夏の全国大会(通称、女子高生の甲子園)も開かれた。さらに00年に駒沢学園女子高、蒲田女子高(共に東京都)に野球部ができ、以来10年間、5校体制で続いてきた。
 そして09年4月、京都の福知山成美高に待望の6チーム目が誕生し、高校女子硬式野球は新たな時代を迎えている。

 女子硬式野球部の特徴は、たった6校しかない分、どのチームも全国から選手が集まっているということだ。男子の野球留学と同じ図式だが、大きく違うのは「野球を続けたいからこの学校を選んだ」ということ。連盟のホームページには「野球が大好き!」「野球を続けたい!」という高校生たちの熱いメッセージが躍り、見る人を元気づけるが、裏を返せばそれは、地元では満足に野球を続けられない女子高校生たちの悲しい現実を物語っている。

 さて高校からスタートした女子硬式野球は、その後卒業生が中心になった一般の女子硬式クラブチームや大学、企業の女子硬式チームの誕生へとつながっていく。
 高校1期生が卒業してまだ10年ほどだが、09年現在、一般クラブチームは埼玉県の3つを筆頭に、大阪に2つ、北海道、東京、静岡、岡山、山口、愛媛に各1つ、専門学校や大学、短大チームは埼玉と東京に各2つ、宮崎に1つ生まれている。
 また10年4月には京都の成美大学にも女子硬式野球部が創設され、大阪体育大学も準備中。福知山成美高とともに関西の女子硬式野球を担う存在として期待されている。

ヴィーナスリーグ・Uリーグ

 硬式化の波は中学生にも及んでおり、08年に兵庫に日本初の中学女子硬式クラブチームが誕生したのをはじめ、一般の女子硬式クラブチームや、シニア、ボーイズといった中学硬式チームに入団する女子中学生が増加。関東では中学軟式クラブチームが硬式の大会にも出場するという現象も起きている。

 このように急速に拡大している女子硬式野球だが、その環境はお世辞にも整っているとはいえない。まずチームの数が圧倒的に少ないため、大学やクラブチームをそれぞれ束ねる団体がまだなく、したがって大会の数も少ない。

 たとえば男子なら中学野球からプロ野球まで年齢や運営形態によって様々用意されている大会が、女子の場合、大きなものは愛媛県松山市で開かれる全日本選手権と千葉県市原市で開かれるクラブ選手権(共に日本女子野球協会主催)、高校生の全国大会、関東女子硬式野球連盟が運営するヴィーナスリーグぐらいしかないのだ。

リトルシニア関東連盟のLSレディース(11年)

 そのため中学生が大学生と戦ったり、高校生が大人と戦ったりするのが当たり前になってしまっている。こうした現状を見ると、やはり少しでも多くの硬式選手が生まれ、年齢などに応じた大会が整備されなければならないと感じる。

 またホームにできる硬式用グラウンドが少ないこともネックだ。高校や一部のチームを除き、ほとんどのチームが試合はもちろん練習場所の確保すらままならない。そのため人気のないガード下や工場の片隅に集まって遠慮がちにノックをしたり、筋トレだけで解散なんていうことも。
「毎回フリーバッティングとか、したいですねえ」
 こう嘆く選手もいるほど、硬式選手を取り巻く環境は厳しいのだ。

女子プロ野球が火をつけた、小中学生と指導者たちの意欲 

 では女子野球の未来を予測してみよう。

 はっきり言ってその将来はとても明るいと言える。なぜなら底辺を支える小中学生の女子チームの数が、08年を境に急増しているからだ。
 私の調査では硬式・軟式のクラブチーム(通年活動)と選抜チーム(短期で活動)の合計数は、07年末時点で39、09年末時点で77と、わずか2年間で倍増している。特に09年の増加ぶりはすさまじく、まさに創部ラッシュといってもいいほど。この勢いは10年も止まりそうにない。

 なぜか。それはやはり女子プロ野球ができたからだろう。子供たちに将来の夢を聞くと、8割の選手が「女子プロ野球の選手!」と答える。女子プロ野球がいかに子供たちの目標になり、モチベーションを高めているかがわかるだろう。

公式戦は年間40試合

 また女子プロ野球の誕生は女子チームの指導者にとっても大きな励みになっている。日本全国どこに行っても
「この子たちが将来プロに行ってくれたらうれしいですよねえ」
 という声を聞く。今まで選手だけでなく、指導者にとっても先が見えなかった女子野球に目標ができたのだ。力が入らないわけがない。また女子野球そのものの認知度が上がったことで、努力が報われた気持ちもあるだろう。
 携帯電話を片手に指導者同士が情報交換し合い、大会を作り、はりきって選手たちを指導しているのを見ると、女子プロ野球ができて本当に良かったと思う。

第1回トライアウトには129人が参加(c)日本女子プロ野球機構

 女子プロ野球がもたらしたもう一つの功績に、「野球は男子のもの」という呪縛から日本人を解き放ちつつあることが挙げられる。プロ野球が男子にしかなかったために生まれたこの誤った認識は、女子プロ野球ができたことによって、その根拠を失った。

 女子だって野球をしていいのだ。そんな当たり前のことが広く世の中に認知されたとき、女子野球はマイナー競技という地位を脱し、男子野球と並ぶ競技として発展していくに違いない。

 今後の課題は意欲あふれる小中学生を、その後どう育てていくかだろう。練習環境の整った学校チームやクラブチームなどを増やすことはもちろん、それらをまとめる全国的な組織も必要だ。

 幸いにも女子野球は男子の組織とは異なる土俵で育ってきたので、男子の反省点を踏まえてより良い組織を作ることができるかもしれない。またプレーの質を高めることも大切だし、女子選手の筋肉の特性やメンタルなどを把握した指導者の育成も必要になってくるだろう。

 いつの日か女子野球の歴史を振り返ったとき、女子プロ野球の発足がその質を高め、一つのスポーツカテゴリーとして確立されるきっかけになったと言える日が来ることを、心から願っている。 

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