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東京都の記録

 関東を知れば見えてくる、現代女子野球の源流

第3章 東京都の記録「そのとき現場は」

関東女子野球連盟の大会。東京都のたくさんのチームが加盟、出場していた。右端の団旗は町田市の「ファイター・アップルズ」のもの

※文中の女子野球とは、すべて女子軟式野球のことを指します。
※当時のチーム区分で「一般」は高校生以上、「少女」は小学生、中学生、または小中学生チームを意味します。

ワイドショーに出た「渋江スラッガーズ」(葛飾区)

 東京都で最初にできた少女野球チームはわかっていない。川崎球場で行われた関東大会(52年11月)に参加した「JBBSエンゼルス」(千代田区、日野晴雄代表)だったかもしれないし、ジュニアフラワーズ(台東区、小山圭子代表)や滝山コメット(東久留米市、土岐鉄雄代表)だったかもしれない。しかしいずれも関係者を見つけることができなかったため、創部の年月やいきさつはわからない。
 
 関東大会には出ていないが、52年(1977年)後半にできたことがわかっているのは「(板橋)ドリームウイングス」(川越宗重代表)だ。その創部の経緯は「シリーズ指導者たち 川越宗重」の項で紹介したのでご覧いただきたい。

 また葛飾区の「渋江スラッガーズ」も52年か53年初めにはできていたという。元選手で、監督の矢後晴子(やごせいこ)さんの娘、佳奈子さん(第1回全国大会当時は小学5年生)は、
「少年野球のコーチだった佐野弘宣さんが、『女子にも軟式野球をやらせてあげよう』と言って選手を集め、母が監督をしました」
 と言う。佳奈子さんはさらに、次のような話も教えてくれた。
「女子のチームは珍しいといって、TBSのワイドショー『3時にあいましょう』に出たり、西武球場のこけら落とし(昭和54年)に呼ばれたりしました」
 いかにも東京らしいエピソードである。

2つに分かれた東京都のチーム

 さて52年後半には4、5チームしかなかった東京都の小中学生チームだが、昭和53年8月の第1回全国大会には少女14、一般3の、計27チームが参加している。(詳細は「日本女子野球協会(軟式)と昭和50年代の全国大会」を参照)

 こんなにたくさんのチームが参加したところは他にはないだけに、当時の東京都の熱気がわかる。またそれを束ねるための組織「日本女子野球協会東京都支部」のようなものがあったらしいが、当時の記録が残っておらず、また人々の記憶も風化しているため、実態はわからなかった。

 しかし昭和54年秋以降、神奈川を拠点とする「関東女子野球連盟」ができると、かなり多くのチームがそちらに加盟したことから考えて、存在したとしても脆弱な組織だったか、東京都支部長のチーム自身が関東女子野球連盟の趣旨に賛同して、そちらに加盟してしまったことが考えられる。

ドリームウィングスの川越代表(写真/飯沼素子)

 いずれにしろ東京都のチームは昭和54年秋以降、関東女子野球連盟に加盟したチームと、日本女子野球協会と足並みをそろえようとする協会派の、2つに分かれたようだ。

 しかし協会派にとって不幸だったのは、55年以降、協会が関東に興味を失ってしまったことだ。「我々のことはほったらかしのようになりました」と、協会派だったドリームウイングスの川越宗重代表は言う。
 リーダー不在に陥って混乱する現場を見て、「これじゃいけない」と思った川越さんが動き、56年までに「日本女子野球東京都協会」(理事長/杉本三十日。国分寺市の「スーパーベアーズ」代表)が発足した。そして杉本理事長亡きあとは、事務局長の川越さんが運営を担ったという。

 加盟していたチーム数はわからないが、56年に東京都協会に加盟した町田市のオリオールズレディース元監督の長岡正己さんによると、「春と秋の東京都協会の大会は、だいたい6~8チームで行われていたと思います」とのことだった。

オリオールズレディースと町田市の女子野球

 東京都は東部の23区と西部の多摩地区に分かれており、それぞれに女子野球チームができた。
 なかでも活発に活動していたのが多摩地区の町田市で、昭和61年ごろまで小中学生チームが常に4、5チーム存在していた。

 53年(1978年)8月の第1回全国大会にはどこも出場していないが、54年5月の「第1回春季神奈川大会」には、「ファイター・アップルズ」「町田リトルレディース」「町田エンゼルス」「ホワイト・トレイン(のちに多摩市に移転)」の4つがエントリーしている。 
           
 女子野球が盛んだった理由を、今でも町田市で活動している「オリオールズレディース」の元監督、長岡正己さんは次のように言う。
「昭和51年に市内の桜美林高校が甲子園で優勝したからです」
少女に限らず、町田市全体が野球熱に浮かされていた時代だったのだ。

『オリオールズの10年史』より

 さて、最初に出たのが神奈川の大会だったからか、町田市のチームは東京のチームでありながら、神奈川が拠点の「関東女子野球連盟」に加盟。同連盟の一大勢力として存在感を示してきた。

 なかでも有名なのが、先ほどの「オリオールズレディース」(昭和54年1月創部)だ。発足の理由を「町田オリオールズ」の宮下慎一郎元代表は次のように言う。
「昭和52年か53年に『南ジュニアレディース』というチームができたので、うちもやってみようといって作りました。でもうちができたころには南ジュニアレディースはなくなっていましたが」
       
 オリオールズレディースは最初は町田市少年野球連盟の大会に出ていたため、女子大会デビューは少し遅い。その名が女子野球界に知られるようになったのは、関東女子野球連盟に加盟した55年からだ(56年には日本女子野球東京都協会にも加盟)。

関東女子野球連盟と日本女子野球東京都協会がコラボした、初めての大会

 チームは関東大会や都大会で優勝や準優勝を重ね、57年の第4回全国大会(北海道開催)では少女の部で準優勝し、58年の第5回全国大会(奈良県開催)では優勝したので(右上の写真)、その名は一躍全国に知られるようになった。

 昭和60年と61年には宮下代表が町田市少年野球連盟に働きかけて、「親善女子野球大会」も開いている。パンフレットには町田市のチームとして、「オリオールズレディース」「ホワイト・トレイン」「鶴川レディース」「(町田)エンゼルス」「成瀬スターズ」の名前がある。
 後援は関東女子野球連盟と日本女子野球東京都協会で、このとき両組織が交流したことが、63年の合併(「関東女子軟式野球連盟」の誕生)につながったのかもしれない。

 オリオールズレディースが何よりも素晴らしいのは、チームは今も存続し、新たな歴史を刻んでいることだ。OGからは高校や大学女子野球部、クラブチームで活躍する人たちがたくさん出ている。

昭和53~63年まで東京都にあったチーム
(大会パンフレットなどより)

 青字は現在も活動しているチーム。パンフによって表記がまちまちな場合は、以下で統一した。レディス→レディース、J・B・B・S→JBBSなど。

千代田区/JBBSエンゼルス、JBBSキャンディズ、JBBSビューティズ、JBBSドールズ、MIZUNO
台東区/ジュニアフラワーズ
葛飾区/渋江スラッガーズ、双葉クラブ、フェニックス
港区/東京ピンクキャッツ、ニューヤンキース、東洋英和女学院短期大学「ライナーズ」
新宿区/プレイガールズ(のちに渋谷区へ)、ブルーエンゼルス
板橋区/ドリームウイングス
練馬区/オリーブ・ジャイアンツ、オリーブ・ライオンズ、オリーブ・ウイングス
足立区/東京メッツ、綾瀬ライガーズ
品川区/品川スコーピオン、バットマン
渋谷区/プレイガールズ(新宿区から移転)
文京区/文京ハリケーン、文京フラワーズ、文京ヘルキャッツ、跡見学園短期大学「エラーズ」
大田区/ロッテ女子野球クラブ(川崎市から移転)、ロッテDEENS(左記と同じか?)
世田谷区/東京スターズ、世田谷ファイターズクラブ(世田谷ファイターズとも)、世田谷ファイターズクラブ中学部、世田谷スネークス、産業能率短期大学「シャークス」
中野区/ポピーズ
目黒区/目黒レディース、目黒エンジェルス
東久留米市/滝山コメット、幸町ハッピーズ、東久留米レッドオリオンズ、パイレーツ・プリンセス、東久留米ハッピーズ
国分寺市/スーパーベアーズ
昭島市/パンサーズ
町田市/南ジュニアレディース、オリオールズレディース、町田リトルレディース、(町田)エンゼルス、ファイター・アップルズ、ホワイト・トレイン(のちに多摩市へ)、ホワイト・トレインJr、鶴川レディース、鶴川レディース・ジュニア、成瀬スターズ
府中市/ファイブファイターズ女子
調布市/ドリームアドベンチャーズ
多摩市/ホワイト・トレイン(町田市から移転)

※写真提供/柳田富志男

取材協力/柳田富志男(元関東女子野球連盟会長)、(旧姓)矢後佳奈子(渋江スラッガーズOG)、宮下慎一郎(元オリオールズレディース代表)、長岡正己(元オリオールズレディース監督)、鈴木慶子(元町田スパークラーズ代表兼監督)、川越宗重(関東女子軟式野球連盟会長)、

参考資料/昭和53年、54年、57年の「女子野球日本選手権大会」および、58年の「日本女子軟式野球選手権大会」のパンフレット、「第2回女子野球春季関東大会」(54年)ほか関東開催の各種大会パンフレット、『ジュニアベースボール』53年10月号、11月号(ベースボール・マガジン社)、『ガッツ ベースボール』53年8月球夏特別第5号(JBC出版局)、『オリオールズの10年』(町田オリオールズ)、『女子軟式野球 エラーズ史』(跡見学園所蔵)、「ボク顔負け 少女野球」(神奈川新聞52年11月7日)ほか

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