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2013

コラム 2013年12月24日

メモリアルイヤーになった2013年

侍ジャパンの面々。中田翔選手、森友哉選手の姿も

2013年 女子野球・三大ニュース

画像の説明 女子野球日本代表が侍ジャパン入り
画像の説明 女子学童の全国大会開催
画像の説明 硬式と軟式の親睦大会実現

画像の説明 女子野球日本代表が侍ジャパン入り [11月7日]

 2013年は女子野球にとって記念すべき年、メモリアルイヤーになった。というのは、上記3つの出来事があったからだ。

 まず女子野球日本代表の「侍ジャパン」入り。これは女子野球の歴史にとって画期的なことだった。なにしろ長い長い年月、「野球は男のもの」という偏見のために女子は野球選手と認めてもらえず、少年野球チームや草野球チームに入っても公式戦には出られなかったからだ。女子チームも野球チームではないということで、グラウンドを借りることさえ難しかった。

志村亜貴子選手と、第6回ワールドカップの監督を務める大倉孝一さん

 平成6年になって全日本軟式野球連盟(以下、全軟連)が女子の選手登録を認めたため(小学生は昭和62年から)、やっと公式戦に出られるようになったが、根強い偏見のためか、今でも女子は野球部に入部できない中学校がたくさんあるし、高野連は女子の選手登録を認めていない。

 そんななかでの女子野球日本代表の「侍ジャパン」入り。新生「侍ジャパン」の詳しい説明は「情報広場」の11月7日付け記事をお読みいただきたいが、小学生から大人までのすべてのカテゴリーの日本代表を「侍ジャパン」と総称するにあたって、女子もその仲間に加わることができたのだ。つまりやっと女子野球も野球なんだと公に認めてもらったわけで、今後の女子野球の発展に大いに弾みがつくだろう。

 来年宮崎で開催される第6回女子野球ワールドカップは、今までと違って野球界全体で応援してくれるはずだから、世間の注目度も上がるに違いない。

画像の説明 女子学童の全国大会開催 [8月17~21日]

 女子学童の全国大会の誕生。これも素晴らしい出来事だった。
 実は「全国大会」と名のつく女子学童の大会はIBA-boysがすでに2010年に作っていて、こちらは優勝すれば毎年東京で開かれるIBA-boysの世界大会に出場できる魅力的な大会だ。 
 しかし参加できるのはIBA-boysに加盟しているチームに限られるため、本当の意味での全国大会とは言い難かった。

NPBガールズトーナメントの開会式。選手宣誓する福岡の副田有理主将

 そこへ登場したのが全日本軟式野球連盟とNPB(日本野球機構)が共催する全国大会「NPBガールズトーナメント」だ。

 ご存知のように全軟連の傘下には47都道府県の野球連盟があるから、まさに全国大会の名にふさわしい大会となった。
 この大会ができたおかげで全国の子どもたちや指導者たちが夢と目標をもつことができたし、今まで女子野球環境がなかったところでも環境作りが進んだ。たとえばこの大会のために女子の県大会を整備したり、史上初めて女子チームを作った県がいくつも出た。まだ「女子が野球なんて」という偏見が残っているところはあるが、この大会が回を重ねるうちに、それもなくなっていくだろう。
 それほどこの大会が誕生した意義は大きかった。

第1回大会は29都道府県30チームが参加。写真は広島チーム

 この2つの出来事の背景にあるのは野球界の方針転換ともいうべき動きだ。これも既報の記事をご参照いただきたいが、プロとアマが協力して野球界を盛り上げよう、日本代表を強くして世の中の人たちの関心を再び野球に取りもどそう、という動きである。この中に急激に人口が増えている女子野球も取り込んでその活動を促し、野球界を活性化させようというのだ。

 こうした背景があって、初めて先の2つの出来事が実現した。後世、必ずや女子野球のターニングポイント、メモリアルイヤーとして位置づけられる年になるだろう。

一つ前のメモリアルイヤー、2009年

 色々な人たちによく聞かれる質問として「なんで女子野球がこんなに盛んになったのですか?」というものがある。いい機会なので一つ前のメモリアルイヤーとして、この質問に対する私の考えを述べておこう。

 その要因は女子プロ野球選手・吉田えりと、女子プロ野球の誕生だと私は思っている。2008年11月に川崎北高校の吉田えり選手が神戸9クルーズのトライアウトに合格。一躍脚光を浴びた彼女の姿を見て、「女子もプロ野球選手になれるんだ」と驚き、勇気づけられた人も多いのではないだろうか。そしてこの時を境に女子野球選手の知名度が上がり、また女子選手の意識も世の中の人の意識も大きく変わっていったのである。

 また女子野球の取材を続けていて実感するのが女子プロ野球の力だ。子どもから大人まで女子プロ野球に入ることを目標に野球を続けたり技術を磨いている人たちが実にたくさんいる。指導者たちも「将来この子たちがプロに行ってくれたら」と言って熱心に指導し、地域の連盟を動かして環境も作るようになった。つまり女子野球人口の急激な増加も環境の広がりも、女子プロ野球の力に負うところが大きいのである。

 それゆえに一つ前のターニングポイントは吉田えり選手がプロのトライアウトに合格した08年11月から、㈱わかさ生活の角谷建耀知社長が女子プロ野球を作ろうと決意した09年1月までの3カ月であり、メモリアルイヤーとしては吉田えり選手がプロのマウンドに立ち、日本女子プロ野球機構が設立された2009年といっていいだろう。

画像の説明 硬式と軟式の親睦大会実現 [6月23日、30日]

 男子野球界ではまだどこも成し遂げていない硬式と軟式の親睦大会を、関西の女子野球界が実現した。先に述べたように、今野球界は硬式と軟式が協力して野球界を活性化させようという方向に動いているが、正直言って、現場レベルでの具体的な行動は見えていない。だって何をどうしたらいいかわからないよ、というのが本音だと思うが、それをすごいエネルギーで実現してしまったのが関西女子野球の面々だ。

硬式、軟式、ベテラン、若手問わず参加した親睦大会

 まずはお互いの競技を理解しようということで、硬式同士、軟式同士の試合を観戦するというかたちでコラボしたが、今後はさらに交流を深めるイベントを企画したいという。

 なぜこれが重要? と思われる方もいると思うが、まだ環境が少ないこともあり、男子に比べて女子はずっと硬式と軟式の距離が近く、軟式から硬式、硬式から軟式へ行ったり来たりするケースがとても多いからだ。それゆえにお互いの競技の特性を理解し、どこにどんなチームがあってどんなふうに野球を続けられるのかを見ておくことが、自分の野球人生をプランニングするうえでとても重要なのだ。

 また今までマイナー競技だった分、これから解決していかなくてはならない問題が山積の女子野球界では(詳しくは女子野球の「困った」~組織編をご覧ください)、硬式と軟式の協力体制や人的交流が不可欠なのだ。

 うれしいことに硬式と軟式が仲良くしていきましょうという意識は今年に入ってからそれぞれの連盟内部に浸透してきており、それもあってこの親睦大会が生まれたと理解している。
 今回の大会は現場レベルの硬軟融合を考えていくうえで貴重な第一歩となった。

           ★    

 今後の女子野球の発展を考えるうえで重要な出来事が多かった2013年。このメモリアルイヤーを、ぜひ皆さんの記憶にとどめてほしい。

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