女子野球情報 

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シリーズ 指導者たち⑦

榊原和成 (「愛知アドバンス」監督)

ノーヒットでも点を取れる
“負けない軟式野球”にこだわってきました

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Kazunari Sakakibara

昭和35年愛知県碧南市出身。中学野球部で本格的に野球を始め、碧南高校硬式野球部、豊田工機(現JTEKT)軟式野球部でプレー。平成3年に同社女子ソフトボール部監督となり、解散後、平成9年に女子軟式野球チーム「愛知アドバンス」を立ち上げ、代表兼監督に就任。現在全日本女子軟式野球連盟理事、東海女子軟式野球連盟理事長。

(文中敬称略)

強豪チームのルーツは女子ソフトボールの企業チーム

 全日本女子軟式野球連盟の全国大会優勝7回、ジャパンカップ優勝6回の強豪「愛知アドバンス」。そのルーツは女子ソフトボールの企業チームにあるという。
「僕自身は野球経験しかなかったんですけど、平成3年に会社の女子ソフトボール部の監督を命じられましてね。『え、僕がソフトボールですか?』って感じでしたけど(笑)、社命ですから、そこから勉強しまして。

「選手には継続は力なりっていう言葉を与えてあるんです。練習は裏切らないですから」

 愛知県はソフトボールが盛んで、野球好きの女子選手は当然のようにソフトボールに行きます。だからレベルが高くて、ものすごくきっちり練習しないと勝てない。うちのチームは当時、中日本リーグ3部だったんですが、 2部昇格を目指して週6日、必死で練習しました。

 
 ところがバブルがはじけた影響で平成5年にチームが解散させられちゃったんです。それでも選手たちがどうしてもやりたいというので、自費運営で2年間会社の名前で大会に出場し、最後は全日本実業団選手権まで行くことができました。ソフト部としては有終の美を飾れたというところでしょうか。

 愛知アドバンスを立ち上げたのはその1年後です。ソフト部が解散したあと選手の一人が、当時名古屋にあった女子野球チームに1年間お世話になっていたんですが、夏の全日本女子軟式野球連盟(以下、全女連)の全国大会に参加したあとすぐに私のところに来て、『女子の野球があるんですよ』って言うんです。で、『自分がメンバー集めますから監督をお願いできますか?』って。
 驚きましたね。女子に野球があるなんて全然知りませんでしたから。でも元々野球が大好きな人間ですから、じゃあやってみようかと。で、集まったメンバーを見たら全員元うちのソフトボール部員だったんです(笑)」

 はからずも豊田工機ソフトボール部をそのまま引き継ぐようなかたちで生まれた女子軟式野球チーム「愛知アドバンス」は、その分、ナイター設備もある会社のグラウンドを使うことを許されるという、ラッキーなスタートをきった。

全国大会で4連覇。女子野球地図を塗り替える

「けっこう気楽に始めたんですが、当時は近くに競合するチームがなかったので、平成9年の全女連の第8回全国大会に予選なしで出させてもらいました。

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 もちろん全国大会レベルの女子野球がどんなものかも知りません。でもちょうどオール兵庫が3連覇していたときで、その試合を見たらけっこうなレベルでやっていることがわかって感心してしまったんです。その一方で自分たちは2回戦で敗退。その結果が悔しくて、私の気持ちが熱くなってしまいました。
 それで選手たちに言ったんです。『1等賞を取るにはきちっとやらないといけないよね』と。そこからですね、一生懸命やり出したのは」

 目の色を変えて練習し出した愛知アドバンスは、その翌々年の第10回大会から4連覇する。それまで全国大会優勝の常連といえば関西と関東のチームだっただけに、そこに創部3年目の愛知県の若いチームが割って入ったことは、女子軟式野球界に大きな衝撃を与えた。

連盟を作って東海地方の女子野球環境を整える

 なぜ愛知アドバンスが急激に強くなったのか、その話に入る前に、環境の作り手としての榊原の功績を紹介したい。
 その一つは平成13年に東海女子軟式野球連盟を作ったことだ。全女連の規約では傘下の連盟を作るには5チームが必要だ(4チーム以下は支部という扱い)。チームを立ち上げて5年後、全国大会で連覇中だった榊原は、連盟を立ち上げるべく動き出した。
「やっぱり連盟になると発言力が増しますから。選手たちに一生懸命やらせてしまった以上、東海の状況や意見を全女連の活動に反映させたかったんです」

「女子野球の発展のために、連盟という母体を作らなくてはいけないと思いました」

 榊原の意図を汲んだメンバーが大学女子軟式野球部OGなどを口説いて回り、割合すんなり4チームができて連盟が成立したという。

 余談になるが東海地方はクラブチームより大学チームのほうが先に活動を始めたのだそうだ。平成4年に金城学院大学の竹内通夫教授が女子チームを作ったのを皮切りに、平成5~11年までに皇學館大学、愛知学泉大学、椙山(すぎやま)女学園大学、中京大学、中京女子大学(現・至学館大学)、愛知医療学院短期大学に女子軟式野球部が誕生した。
 そして平成13年に東海女子軟式野球連盟が誕生してからは、招待チームというかたちで大学チームが連盟の大会に参加している。

 さてもう一つの榊原の功績は、5つもの大会を作って選手に真剣勝負の場を提供したことだ(現在は伊勢大会、東海大会、会長杯大会、全国選抜碧南大会の4つ)。課題はグラウンド確保だったが、軟式野球連盟や市役所などを訪ねて回り、「女子の大会をやらせてください」と渋る関係者に頭を下げ続けたという。
「みんなせっかく一生懸命がんばっているんだから、その努力に光を当ててあげたかったし、形に残るようにしてあげたかったんです。それに世の中の人に女子でもここまでやるんだということを知ってもらいたかったので」

全国制覇のために編み出した“25メートル野球”

「僕の野球は徹底したデータ野球です」
 そう言って見せてくれたのは全員の打率、走塁などのタイムや、ピッチャーの防御率などが書かれたノート。
「これを見て起用する選手を決めます。数字にはシビアです。そうじゃないと選手の努力に対して失礼でしょ。僕のことを信じてほしいのと同じように、選手も自分のことを信じてほしいと思いますから」

 全国大会で優勝する方法も綿密な計算に基づいて研究した。まず考えたのは軟式野球の特徴を踏まえた勝負スタイルだ。
「軟球は硬球と違って軟らかいから、バットの芯でとらえない限り飛びません。だからヒットになる確率が非常に低いし、女子の場合、いいピッチャーに会ったらさらにヒットが出ない。
 

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 それを踏まえて全国大会を見ると、参加チーム数は32。優勝するには5回勝たなくちゃいけないし、いいピッチャーとも必ず対戦します。だからヒットを打てなくても勝てる野球、ノーヒットでも点を取れる“勝ち抜くための、負けない軟式野球”をしようと決めました」

 注目したのはグラウンドサイズだ。全女連が採用しているグラウンドサイズは一般のサイズより小さく、バッテリー間17メートル、塁間25メートルだ(一般はバッテリー間18.44メートル、塁間27.43メートル)。そのため、
「なんでここでクロスプレーになっちゃうの? というようなことが色々あって、最初は悩みましたね。セオリーどおりの野球ができないもんですから。

 だから僕、“25メートル野球”というのを作っちゃったんです。短い塁間で、しかもヒットを打たずに点を取る方法を、1死走者一、三塁などといった設定ごとに全部マニュアル化したんです。詳しいことはお教えできませんが、塁間が短い分、足を生かすというのが基本的な考え方です」

 4連覇がかかった平成14年の大会でも、徹底的にマニュアルどおりの野球をやって優勝した。
「だからこそ勝つことができたし、そうでなければうまい選手がそろっているわけでもないアドバンスが4連覇なんてできるもんじゃありません。その後の3回の優勝も25メートル野球で勝ち取りました」

基本を大切にし、自主性を重んじる“アドバンス野球”

「僕が大切にしていることの一つは、基本的な技術をおろそかにしないということです。特に25メートル野球に欠かせないバント、トスバッティング、走塁の3つは徹底的にやらせますし、実際にこの3つの成功率が高かった年は優勝しています。選手によく言うんです、『打率3割っていったらすごいけど、もっと上の10割を目指せるものがあるんだ』って。それがこの3つなんです」

うまくなりたいという気持ちにはとことん応える

 選手のやる気や自主性も大切にしている。
「選手が欲しない限り、基本的な技術以外は自分からは教えないようにしています。だってやらせられる野球なんて面白くないし、うまくもならないでしょ。我慢できる限り“待つ”というのが僕のスタンスです」

 選手のやる気は次のような方法で現実的なレベルアップにつなげていく。
「毎年1月に月目標と夏の全国大会に向けての計画目標シートというのを出させるんです。目標がはっきりしていれば、人間がんばれますから。

 ポイントは僕が課題を与えるんじゃなくて、いつまでにどこまで出来るようになりたいのか、自分で目標を立てさせるということ。それを僕が確認して、必要があれば『自分はどうなりたいの? それならこの目標は違うんじゃない?』『これ逃げてない? 逃げちゃだめでしょ』なんて方向性をアドバイスします。
 アドバイスの基本は、その選手の良いところを生かすということです。良いところがないように見える子でも何かみつけてアドバイスします。
 実際にその目標に対してどう取り組んだか、その結果どうだったか、やりこぼしたことはないかも書かせて、次の課題をはっきりさせるようにしています」

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 グラウンドでも自主性を重んじる。
「2時間なら2時間、『時間あげる』って言って個々の課題に取り組ませます。その間、聞きにくれば全部教えるし、聞きに来なければ教えない。
 でも性格的に聞きに来れない子もいるわけです。そういう子が首をひねっていたら『なんで確認しに来ないんだ』とか、勘違いした練習をしている子には『それは違うよ』って声をかけるようにしています。
 だからうちは個人練習の時間が多いと思いますし、僕自身、選手と個々で話す機会が多いと思うんですよ。

 それでも時々『足踏み、後退』してしまう選手がいます。そういうときは『先ずやってみよう! やらないで後悔するよりもやって失敗して反省すればいいじゃん!』っていう言葉をよくかけます。気持ちの上で守りに入ったら進歩はないですし、アドバンス(前進)っていう名前は自分たちがつけたんだから、チャレンジする気持ちを忘れないでほしいんです。常に前進し、レベルアップするために僕がいるんだから、監督は使わなきゃ損です(笑)」

将来母になる選手たちに伝えたいこと、そしてこれからの夢

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「うちのチームは1年契約(1~12月)なんですよ。創部して4年目、2連覇したあとに選手たちに言われたんです、『私たち、いつまで野球やればいいんですか?』って(笑)。野球はやりたいけど、やめ時がわからないというんですね。

 当時の選手たちはソフトボール時代からやっていますから、そんな気持ちになったんでしょう。女の子なんだからゆくゆくはお嫁に行かせたいという話を親御さんからも聞いていたので、5年目から1年契約にしちゃったんです。で、やるって決めたらその1年は一生懸命がんばる。でも唯一例外があるんです。結婚ですね。そのときはシーズン途中でも『どうぞ。チャンスは逃しちゃだめ』って(笑)」 

 選手の意志は毎年12月に個人面談を行って確認し、「来年もがんばります」と言う選手には、前述した計画目標シートを出させてサポートしていくのだという。しかし、
「クラブチームというのはいくつになっても野球をやれる場所ですが、見方を変えれば選手が最後の時を迎える場所でもあるんです。だからどういうかたちで幕を引かせてあげたらいいか悩みますね」

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 選手を見送る寂しさがある反面、引退した選手が子どもを連れて試合を見に来る喜びもあるという。榊原は彼らの姿に現役選手たちを重ね合わせる。
「僕、よく“伝達ごっこ”しなさいって言うんです。僕は自分から教えないから先輩が教えなさいって。でもそこには将来の自分の子どもに対して伝達するっていう意味もあるんです。

 何を伝達するか、それはアドバンス野球で培ったことすべてです。喜びや苦しみ、達成感、人を思いやる心、克己心など、いつかお母さんになったとき、それを生かして子育てしてほしいんです。今、自分さえよければいいと思っている子どもが増えていますよね。だからこそこうした経験をお母さんから子どもに伝達することが大切になってくるし、現役選手には伝達できるものをつかむまで、とことんアドバンス野球をやってから巣立ってほしいと願っています」

 最後に女子軟式チームの指導者としての夢をうかがった。
「女子軟式野球は全国大会であっても世の中の人にあまり注目されませんよね。それが残念でなりません。子どもたちのために、もっと女子軟式野球の認知度を高めて夢がもてる環境を作ってあげたい。

 そのために僕は女子野球も国体種目にしてあげたいんです。国体は軟式野球の頂点ですから。残念ながら全女連は全日本軟式野球連盟に加盟していないので未だにかなわぬ夢ですが、選手が将来『お母さんは女子野球で全国大会と国体に出たのよ』って子どもたちに胸を張って語れるようになってほしい。そのために我々指導者がやるべきことはまだあると思っています」

愛知アドバンスのメンバーと。中高生が増えたため、大人のチームとは別に2011年に愛知アドバンスジュニアも結成

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