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明治時代に女性が野球

殿堂入りデータ

朝日新聞大阪版(夕刊) 1985年(昭和60年)8月5日 月曜日 11面
(以下要約)
 ※「女子野球むかしむかし」で紹介していた記事(画像)の掲載期間が終了したため、殿堂入りデータに移動しました。

明治時代に女性が野球
いさましきかな はかま ラケット
京都で「仕合」 画帖でしのぶ 芦屋の上野さん

 はかま姿の女生徒たちがテニスラケットをバット代わりに使って「ベースボール」を楽しんだ記録が、京都市第二高等小学校の卒業記念画帖から見つかった。画帖は同校を明治37年に卒業した上野梅子さん(旧姓九鬼、94歳、兵庫県芦屋市平田町在住)のもの。
 画帖にはラケットを手にした女生徒の絵姿と、「いにしえの まりの遊びに 引きかえて ベースボールの いさましきかな」という歌がかかれている。当時はまだ「野球」という呼び名は一般的ではなかったらしい。

 女生徒のクラスを受け持った男性教師が野球好きで、上野さんら13人の生徒を熱心に指導したという。「軟らかいゴムまりを使い、休み時間中もキャッチボールをしたものです」と上野さん。

 別のページには日付から見て、卒業記念に対戦した第一高等小学校戦のものと思われるスコアブックの絵もある。上野さんのチーム名は「RED」。9人の守備位置がアルファベットの略字で記入され、上野さんは「F・B」(ファースト・ベース、一塁手)。打席ごとのスコアもあり、上野さんは4得点を挙げている。
 仕合は4回まで行われ、16-8で第二高小が快勝。仕合時間は右上の記録から、1時間40分と見られる。
「実におもしろく愉快なり(中略) かちどきをあげて解散したり」
とある。

明治時代の選手(模写)

 上野さんが野球をしたのは第二高小のときだけだが、大正4年には豊中球場での第1回全国中等学校優勝野球大会を観戦した。
「女性で野球のルールを知っているのは、そのころ、まだ、ほんの少しでした」
 上野さんは今でも甲子園の野球中継を欠かさず見る。
           ★  ★  ★
※イラストは朝日新聞に掲載された画帳の絵を管理人が模写したもの。矢絣の着物にはかま姿。手にはラケットを持っている(下手な絵で申し訳ないのですが、当時の貴重な記録であるため、あえて模写しました。本物の記事、イラストは国立国会図書館で見ることができます)。
※記事にはスコアブックの写真も載っており、記者の「当時のスコアブック。○印は得点らしいが、×印とSはよくわからない」という説明がついている。

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