12ki
コラム ★2013年12月12日
第12期日本代表トライアウト雑感 女子野球第二世代の台頭
硬式選手のみ126人が2日間にわたって受験
高校生が多い! とにかくそんな印象のトライアウトだった。
来年宮崎県で行われる第6回女子野球ワールドカップのための代表選出。第12期日本代表の座をかけてエントリーしたのは北海道から鹿児島までの126人だった。

前回の210人を下回ったのは、今回から応募できるのが硬式選手だけになり、しかも指定の大会に出ているなどの条件をクリアしていなければならなかったからだ。そのため、前回はとても多かった中学硬式リーグ(リトルシニア、ボーイズ、ヤングなど)の選手はほとんど参加することができなかった。
高校生が多かったのはチーム数や1校あたりの人数が急激に増えていること、またそのレベルが上がって松山の全国大会などで決勝進出する高校チームが増えたため、指導者たちが自信をもってたくさんの選手を推薦したと考えられる。
その監督推薦だが、高校に限らずどのチームも状況はバラバラで、まず受験希望者を募ってその中から監督が選んだところもあれば、監督が厳選したメンバーしか受けられなかったところもある。人数制限も特になかったため、1チーム当たり1人から13人までと、受験者数にはかなり差があった。

審査に当たったのは第6回大会の監督を務める大倉孝一さん、清水稔コーチ、それに今回から設けられた実行委員のみなさんで、濱本光治監督(平成国際大学)、斎藤賢明監督(埼玉栄高校)、井坂学監督(ハマンジ)などがその顔ぶれ。今回実行委員を設けたのは、各種大会を見てきた指導者たちの意見を入れることによって、より正確に選手の実力を判断するためだという。(新谷博前監督は第6回大会のスタッフには加わらない)
審査の内容は左下の表(二次審査)をご覧いただきたいが、前回は一次審査をクリアしないと二次審査に進めなかったが、今回は監督推薦という第一ハードルがあったためか、全選手が2日間にわたって審査を受けた。
積極的に若手を選出。進む世代交代
今回合格した23人のうち、前回の代表メンバーだったのは6人(全体の26%)。志村亜貴子(アサヒトラスト)、西朝美(AFB TTR)、金由起子(ホーネッツレディース)、磯崎由加里(尚美学園大学)、出口彩香(尚美学園大学)、吉井萌美(平成国際大学)の各選手で、ほか17人は新人だった。

これからどんどん選手を入れ替え、プロも招聘するというので最終メンバーがどうなるかはわからないが、それでも20人中14人と、全体の70%がワールドカップ経験者だった前回よりは新人が多くなることが予想される。
また70%という経験者率は前回の参加国中、一番高い数字だっただけに、いよいよ日本も将来を見据えたチーム作りに着手したといえるだろう。
今回選ばれたメンバーを見ていると様々な思いが浮かんでくる。
まず前回11人いた社会人合格者が4人に減ったのは、実力のある選手が引退したり、ワールドカップ後にプロ野球に行ったことがあるだろう。たとえば長い間日本代表を務めた新井純子選手は引退し、里綾実、中島梨紗、中野菜摘、萱野未久(予定)の各選手はプロ野球に行っている。
しかし今後こうした選手たちや、それ以前からプロで活躍している選手たちが日本代表に招聘される可能性があり、またプロもしくは新社会人となる大山唯、新宮有依、六角彩子などのワールドカップ経験者も控えているため、社会人の割合はもっとずっと大きくなるだろう。
新人17人についても興味深い事実が見えてくる。
女子硬式野球ウォッチャーならお気づきかもしれないが、合格した大学生や社会人は全員高校女子硬式野球部OGなのだ。防衛大学校の笠原千鶴選手は、その所属ゆえに女子野球とは無縁な世界で野球をしてきたように見えるが、実は埼玉栄女子硬式野球部のOGだし、小出加会選手も埼玉栄OGだ。

また田中茜選手は神村学園OG、石田悠紀子選手、兼子沙希選手、寺部歩美選手は花咲徳栄OGで、ほとんどの選手は高校時代に女子大会の受賞歴がある。
もちろん高校OGでなければ合格しないというわけではないので、今後は片岡安祐美さんがそうであったように、男子と一緒にプレーしていたり女子クラブチームで育った人の中からも合格者が出てほしい。
高校生は新人ばかり11人が選ばれたが、前回の代表候補には高校生が3人(吉井萌美、小出加会、花ヶ崎衣利選手)しかいなかったことを思えば、やはりそこに「ベテランがいるうちに若手を育てたい」という大倉孝一監督の意志を感じる。
女子野球の苦難の時代を知らない女子野球第二世代
さてここから先は筆者の思い出話になるがお許しいただきたい。
実は今回トライアウトを受けた高校生や大学生を見て、個人的に時の流れをひしひしと感じている。今大学2年生までの選手は、ちょうど私が女子野球の取材を始めた2008年に小学生や中学生だった選手たちだ。09~10年にかけて野球雑誌で女子野球の連載を持っていた私は、雑誌で紹介するために優秀な小中学生を探していた。そのとき自分で見つけたり指導者の推薦を受けて見に行った選手が、今回実にたくさん受験していたのだ。

合格した選手の中では甲斐綾乃選手。彼女は07年、6年生のときに「12球団ENEOS CUPジュニアトーナメント」で横浜ベイスターズジュニアに選ばれ、エースナンバーを背負ってマウンドに上がったが、当時大きな大会で女の子がエースを務めるのは珍しかったため、テレビなどでずいぶん話題になったものだ。この年のENEOS CUPにはほかにも優れた女子選手が何人もいたため、この大会を通して初めて小学生の女子野球選手というものにスポットライトが当たったと記憶している。
結局甲斐選手以外は中学に入るとみんな野球をやめてしまったが、甲斐選手は中学生クラブ「オール京急港南女子」(現・オール京急)で野球を続け、投手と遊撃手として活躍。蒲田女子高校に入ってからは一時期怪我に泣いたが、3年時は見事に復活し、エースナンバーを背負って高校生の全国大会やヴィーナスリーグなどでチームを準優勝に導いた。

甲斐選手と同い年の平賀愛莉選手は07年、「レッドタイガース」の選手として小学生の甲子園と呼ばれる「全日本学童軟式野球大会マクドナルドトーナメント」に出場した。そのチームを取材した人から印象に残る選手として平賀選手の名前を聞き、所属していた東京都の神谷中学校野球部の試合を見に行ったことがある。
その時は豊かな髪を後ろできりりと一つに束ねてマウンドに立ち、男子から三振を奪ったり上手な二塁牽制を見せていたが、顧問の先生は遊撃手としてのセンスも高く評価していた。一時期、一般女子軟式クラブ「板橋ドリームウイングス」にも籍を置いたが、高校は花咲徳栄高校に進学して硬式野球に転向し、遊撃手として活躍した。
加藤優、御山真悠、田中亜里沙、山内史帆選手は中学硬式リーグの出身で、田中選手は大阪の高槻リトルシニアで、山内選手はヤングリーグの京都ベースボールクラブでプレーしていた。山内選手は中学3年のときは「丹波ヤングガールズ」にも登録して女子野球も経験している。
加藤選手(秦野フロイデボーイズ)、御山選手(習志野タフィーボーイズ)は09年にボーイズリーグ東日本ブロックが初めて作った女子選抜チームのメンバーだった(参考 → 特集「カギ握る中学硬式リーグ」)。09年8月2日、大雨の後のぬかるんだ南港中央球場で、加藤選手はボーイズ関西ブロック選抜相手に先制ホームランを放ち、御山選手も適時打を放って勝利に貢献した。東京ドームでのリトルシニア関東連盟との戦いにも勝利したが、あのときのまだ線が細かった中学生たちが今日本代表候補に選ばれたのだと思うと胸がいっぱいになる。
合格はしなかったが、ずっと気になっていた選手たちもトライアウトに参加していた。

中学生クラブ「ウィングスジュニア」OGの加藤萌音選手は埼玉栄高校の不動の三塁手だが、中学時代は強肩&クレバーな捕手として知られ、110キロを投げる飯浜咲菜投手との黄金バッテリーは最強だった。2人のおかげで松山の全国大会で快進撃したウィングスジュニアはクラブチームの全国大会にも出場し、加藤選手はここで高校生級のバッティングも披露した。
同じく埼玉栄の内野手、佐々木蘭選手は中学軟式クラブ「宮城ドリームガールズ」の投手として、10年にKボールの大会で優勝。3、4チーム作れるほど選手層の厚い埼玉栄でも頭角を現し、早々にレギュラーの座を勝ち取った。
投手としてトライアウトを受けた開志学園高校(新潟県)の若泉瀬菜選手は、茨城県の選手。小学生時代は女子選抜「茨城クイーン」の捕手として各種女子大会で活躍し、IBA-boysの大会では準決勝で新潟の「BBガールズ選抜」と熱戦を繰り広げた。その新潟で今、彼女は女子硬式野球部のキャプテンとしてチームを率いている。縁とは不思議なものだ。

新潟といえば合格した捕手、笠原千鶴選手は新潟県の出身で、野球がしたくて埼玉栄高校に進学した選手だ。埼玉栄高校は女子野球の普及のためにしばしば新潟に遠征していたが、その中に笠原選手もいた。当時遠征の感想を聞こうと笠原選手にインタビューしたが、とても控えめな選手で、失礼ながらまさか今回代表候補に選ばれるとは想像もしなかった。今回も報道陣に囲まれて緊張に顔をこわばらせている彼女を見て、当時と変わらない人柄に心なごんだ。
福知山成美高校の1年生中堅手、谷岡美瑠選手は小学生時代、女子選抜「大阪ベストガールズ」の三塁手として抜群の野球センスを見せていた。強い打球を恐がらず、ゆるい打球も素早く前に突っ込んで捕球し、ファーストへ送球。その守りは鉄壁だった。そしてチーム一の俊足。その脚力は高校生になった今も健在で、トライアウトの際、快足を飛ばしてボールを追う様は素晴らしかった。
駒沢学園女子高校からクラブチーム「シリウス」に行った大学生、佐々木晴夏選手もトライアウトで左翼手として良い動きを見せていた。中学時代、「オール京急港南女子」(現・オール京急)の外野手だった彼女は、足の速さ、盗塁のうまさ、そして元気の良さで他を圧倒していて、当時取材したカメラマンは、彼女の気迫に満ちた走りっぷりは絵になると感心していたものだった。

語り出すときりがないが、こんなふうに子どものころ才能をきらめかせていた選手たちが、順調に成長してトライアウトを受けに来たことをうれしく思う。また私の頭の中には今回トライアウトを受けなかった優れた選手たちのリストもあって、彼らが受験していたらどうなっていただろうという思いもある。
その一方で中学時代は存じ上げなかったが、高校で素晴らしい活躍を見せて代表候補に選ばれた選手たち、たとえば中学野球部出身の田中露朝、笹沼菜奈、石川優希、原万裕の各選手や、佐賀県の女子硬式クラブ「ザ・スパ武雄レディース」OGの大串桃香選手のような人もいて、日本の女子野球界はいつの間にこんなに選手層が厚くなったのだろうと驚く。
彼女たちは08年以降急速に整い始めた女子野球環境と、指導者や地域の連盟の人たちの理解と愛情に恵まれて育ってきた世代だ。「女子が野球なんて」という偏見にさらされたことはあったかもしれないが、その多くはかつて女子というだけでグラウンドも貸してもらえなかった第一世代の苦労を知らない。当たり前に野球をし、当たり前に夢を語る女子野球第二世代だ。
その第二世代が遂に日本代表の多数を占める時代が来る。時の流れはなんと早く、そして女子野球はなんと豊かになったことだろう。トライアウト会場に溢れるたくさんの高校生や大学生を見て、新時代の訪れを感じずにはいられなかった。
合格発表の前に参加者に感想を聞いてみました
※敬称略
辻野玲奈(茨城県立波崎柳川高校野球部1年) ★ ★ ★

「波崎ブルージャイアンツ」で野球を始め、中学野球部ではサードを守っていた。「高校は女子硬式野球部のある学校に行こうかすごく迷ったけど、兄と同じチームで野球がやりたくて」県立高校に進学した。トライアウト1日目を見て、「あ、みんなうまいんだなと思いました。捕球の仕方、捕ってからの投げ方、足の運び方など、勉強になることが多いです。でも男子より肩が弱いから、カットの位置とか考えなくちゃいけないなと思いました。トライアウトの前日ですか? 緊張していたけどよく眠れました(笑)」
若泉瀬菜(開志学園高校女子硬式野球部1年) ★ ★ ★

「トライアウトを受けるのは『LSレディース』(リトルシニア関東連盟チーム)時代に続いて2回目です。前回レベルの差を感じたので、今回はその差がどのくらい縮まったかを試そうと思って来ました。今でもトップレベルとの差はけっこうあると思いますが、自分の位置がどの辺かわかってよかったです。
小学生時代は勝負を楽しんでいましたが、中学から先は勝負にこだわるというか、どうやったら勝てるか、自分の中に目標を作って努力するようになりました」
小松圭保(高知県立室戸高校女子硬式野球同好会1年) ★ ★ ★

この春、高知県に初めてできた公立高校の女子硬式チームから参加した。「監督から『いい機会じゃき、挑戦してみたら』と言われて来ました。はい、1人だけです」と笑顔。小学校はソフトボール、中学で野球に転じ、佐賀中学校(高知県)野球部ではエースを張っていた。「合格するかですか? レベルが高くてまだまだ(笑)。帰ったらみんなにがんばったよって報告します。次は今の部員4人全員で参加したいです。セレクションは勉強になるしモチベーションが上がります」
神村学園女子硬式野球部のみなさん(3年生2人、2年生2人、1年生3人) ★ ★ ★

全員監督からの指名で参加。トライアウト前日に来て翌日に帰るという3泊4日の遠征だった。代表してトライアウト2回目という豊巻翔子選手(前列中央)に話をうかがった。「1回目は高崎ボーイズ(群馬県)にいたときに受けましたが、中学生だったのでさすがに…。でも今回は2回目だったので堂々と、もてる力を出せました。日本代表になって世界と野球がしたいです」
河合悠女乃(左)、玉田弘美(右)(AFB TTR、ともに高校1年) ★ ★ ★

09年の「第5回東京都学童女子軟式野球交流大会」で優勝した「オール葛飾」のバッテリー。2人とも女子中学生硬式クラブ「AFバイスブルーバッツ」で野球を続け、現在は日本代表歴多数の西朝美選手の下でさらなる野球の修業中だ。今回は師である西選手とともに受験した。強肩と俊足、バッティングセンスに感心して小学生時代の河合捕手を取材したが、今回のトライアウトは「受かるなんて全然(笑)。でもトライアウトの場に慣れたくて参加しました。みんなレベルが高いのでとても勉強になります」と謙虚なコメントをくれた。
笠原千鶴(防衛大学校硬式野球部2年) ★ ★ ★

高3から捕手になり、今でも捕手としてプレーしている。「トライアウトを受けるのは初めてです。前々回は高1で自信がなく、前回は高3で受験と重なって受けられませんでした。次回は幹部候補生学校に行っているころなので、これが最初で最後のトライアウトです。久しぶりに女子のプレーを見ましたがレベルが高くなっていてびっくりしました。監督には前から絶対受けますって言っていたのですぐに推薦をくださいました。チームメイトもすごく応援してくれて、バッティングなど2週間しっかり練習に付き合ってくれたので、これで落ちるとちょっと辛いです(笑)」
金由起子(ホーネッツレディース、36歳) ★ ★ ★

「トライアウトですか? もう何回受けたかわかりません」と笑う、女子の国際大会黎明期からの代表選手。今回のトライアウトを見て、「みんな普通に野球ができるレベルに(日本の女子野球が)なったんだなあと思います。でもほかの競技のアスリートたちは練習をすごくいっぱいしていますよね。だから選ばれた人たちは合宿をたくさんするなどして、もっともっと練習しなくちゃいけないと思います。気持ちの面でも自分たちがやらなきゃという強い思いが必要ですね」
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