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地方別女子野球の歴史
北海道女子軟式野球の現体制を作った「旭川レディース」の記録
昭和52年4月の北海ベアーズ(札幌市)の創部に刺激を受けて、旭川、深川、北広島などに次々とチームができては消えていったという。今回北海ベアーズ元監督の中田章氏にお借りした各種新聞記事によると、昭和58年9月には5チーム、昭和61年には7チームが活動していたというが、大会パンフレットと新聞記事とで数に相違が見られるため、概数と思っていたほうがいいだろう。
また中田氏の記憶によると、北海道の女子チームはバブルがはじけた平成3年ごろから次々に解散していったという。
そんななか、長い期間活動し、現在の北海道女子野球に大きな影響を与えたのが旭川レディースだ。
創部は昭和53年4月。旭川市在住の澤崎俊夫、悦子夫妻が喫茶店経営者とともに立ち上げた。昭和58年ごろから浅野俊明氏が監督に就任し、元ソフトボール選手などをビシビシ鍛えて強いチームに育てていったという。
浅野氏(当時はコーチ)は昭和57年に札幌市で開催された第4回の全国大会(日本女子野球協会主催)でドリームウイングス(東京)の川越宗重氏に会い、それが縁で平成2年、川越氏の呼びかけに応じて全日本女子軟式野球連盟を設立した。
また平成10年に札幌シェールズ(平成6年創部)の石川加奈子氏とともに北海道女子軟式野球連盟を立ち上げ、全女連傘下の連盟に。平成3年に関東で行われた第2回の全国大会(全日本女子軟式野球連盟主催)で優勝し、全国の人々に北海道の女子野球を強く印象づけた。浅野氏は平成24年現在も同連盟の理事長、石川氏は副理事長である。
チームはその後、旭川ライムライツと名前をかえたが、平成19年ごろ、人数不足で自然消滅したという。
取材協力/中田章(元・北海ベアーズ 女子部)、澤崎俊夫、悦子(元・旭川レディース)、浅野俊明(元・旭川レディース)、石川加奈子(札幌シェールズ)の各氏