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特別コラム 2021年3月11日

震災後10年に思う、岩手の人々の志

奇跡の一本松


 東日本大震災から10年。未だ完全な復興が成っていない映像を見ると胸が痛む。

 思い出すのは岩手絆女子野球クラブ代表の、佐々木幸浩さんの言葉だ。
「津波で母親を亡くして悲しみに沈んでいる女子選手を見た時、大好きな野球で励ましてあげたいと思ったのです」

 そして震災の翌年に岩手絆ガールズ(学童)、13年に絆ヴィーナス(中学)を立ち上げた。
 当たり前だった日常は失われ、グラウンドも消失し、とても野球どころではなかったはずだが、佐々木さんたちは子供たちに声をかけ、練習を始めた。

 13年には「絆」女子交流野球大会も作った。
「小学生は〇人、中学生は〇人だね」と、電話の向こうで佐々木さんがやさしい岩手なまりで言った。人数ギリギリ。でも、ああ、ありがたいと思った。よくぞ集まってくれた、よくぞ集めてくれた…。

 記念すべき第1回大会には、宮城ドリームガールズ、秋田エスポワールガールズの小中学生たちも参加した。今でこそ東北女子野球連盟が主催する小中学生大会があるが、当時は女子大会は東北にはほとんどなく、それを岩手の人たちが作ってくれたのは、奇跡といってもよかった。

 それから4年後の2017年3月25日、岩手絆ヴィーナスの方々は、私が行った女子軟式野球選手の運動能力調査に快く協力してくださった。
 佐々木さんが手配してくれた大船渡市のはまなす球場は、この日が震災後初の使用と聞いた。黒い土が全面に敷かれ、震災の傷跡は見られなかったが、土の表面はまだ柔らかかった。

 絆ヴィーナスに加え、宮城ドリームガールズ、宮城デイジーズ、秋田エスポワールガールズSUNの中学生たちも測定に参加してくれた。子供たちは皆礼儀正しく、真剣に、そして時に笑い声を立てながら測定を楽しんでくれた。

 ちなみに中学生(324人)の球速1位と2位、遠投3位と4位、スイングスピード4位の記録は、この時の測定で生まれたものだ。春まだ遠い東北の、練習もほとんどできていない選手たちが出した記録なのだから、東北選手の実力や、恐るべし。(数値は記録のページをご覧ください)

 測定会の前には、絆ヴィーナスの保護者の案内で、陸前高田の海沿いにある慰霊碑に参らせていただいた。津波で廃墟と化したユースホステルや奇跡の一本松も見た。

 今改めて思う。佐々木さんのような方々がいたからこそ、今の岩手の、東北の女子野球があるのだと。
 みなさん、ありがとう。ただただ感謝の言葉しかありません。

遠投する岩手絆ヴィーナスの選手。2017年の運動能力調査にて

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