女子野球情報 

伊藤秀次(「オール兵庫」監督)

シリーズ 指導者たち③

伊藤秀次 (「オール兵庫」監督)

この子は育つと思ったら、反対する人がいても
信念をもって育てていきます

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Hideji Ito

昭和24年、兵庫県神戸市出身。
少年野球チームで野球を始め、中学軟式野球部、神戸育英高校硬式野球部を経て社会人軟式野球チームでプレー。
昭和50年代初めに女子学童チーム「神戸レディース」監督に就任し、平成元年から一般軟式クラブチーム「オール兵庫」監督兼代表。平成22年、関西女子野球連盟理事長に就任。

(文中敬称略)

初めての女子小学生の指導。厳しすぎてやめる子も

 関東と並んで古い女子野球の歴史をもつ関西。その始まりは昭和50年代初めまでさかのぼるという。伊藤の物語もその頃に始まる。

「当時私は27、8歳でしたが、取引先のスポーツ店に少年野球チームに関わっている方がいらして、『小学生の女の子の選手が増えてきているから女の子だけのチームを作りたい。監督をしてもらわれへんか』と言われたんです。そのころは肩を壊して社会人チームをやめていたので、『女の子を育てるのも面白いんちゃうかな』と思って引き受けました」

関西女子野球ジュニアリーグにて(10年)

 保護者の反応は上々。「女の子同士でやるほうが遠慮なくできる」「男の子の中で孤立しないですむ」「同じようなレベルでやれる」と、たちまち神戸市内の小学生14、5人が集まったという。チームは「神戸レディース」と名づけられ、神戸市内のグラウンドを借りて練習が始まった。

「でも小学生の女の子の指導法なんてわかりませんから、結局自分がやってきた野球をそのまま教えてみて、子どもたちがわかる範囲のものをやっていくことにしました。

 その結果、レベルを下げて下げて教えていかないと難しいということがわかったんです。とにかく難しいことが全くわからないんです。もう全部最初から、手取り足取り、キャッチボールの基本から教えました。もちろん少年野球チームにいた子もいるんですけど、女の子はほとんど見てもらえないという感じでしたから、我流の子が多かったんです。

 女の子と思わずに男を教えるような感じでやっていたので、『こんなんきついから嫌や』とか『もっと楽しくやりたい』と言ってやめていった子もいましたね。保護者の意見は『そこまでやらんでもええんちゃうか』『いや、これが普通ちゃうか』と半々でしたけど(笑)、僕の方針というものがあるから、それは絶対に曲げないというかたちでやりました。こっちも真剣に教えなきゃいけないという気持ちでしたから。

 だからちゃんと指導方針を理解してついてきてもらうのが一番しんどかったですね。でも幸いなことにそのスポーツ店の方が、『指導は任せる』といって保護者への面倒な説明は全部引き受けてくれました。だからうまくいったんだと思います」

 やめる選手が出る一方で、このチームは野球をしっかり教えてくれるといって入団する選手が増え、創部から2年ほどたつと、チームは真剣に野球をやりたい選手ばかりになったという。

西日本連盟の誕生で盛り上がった近畿地方の女子野球

 当たり前のことだが小学生はやがて中学生になる。学童チームとしてスタートした神戸レディースは、昭和54年頃、その子たちの受け皿として一般の部を作り、少女(小学生)の部と二本柱で活動するようになった。

オール兵庫の練習風景(10年)

 同じ頃、近畿地方には女子チームがいくつも誕生していた。昭和53年9月、大阪府に大阪ドリームガールズが誕生したことをきっかけに、昭和54年、近畿地方の女子チームを集めた「女子野球西日本連盟」(理事長・逸見明)が発足。

 大会も一般の部と少女の部に分かれて開催され、昭和54年3月の「第1回 女子野球西日本大会」には大阪、兵庫、京都、和歌山、広島、愛媛から、一般の部7チーム、少女の部4チームが集まった(神戸レディースは一般の部のみエントリー)。また昭和55年の第2回大会には東京や群馬のチームも参戦し、一般、少女、それぞれ8チームが熱戦を繰り広げた。(参加チームは文末参照)

 しかしどういう訳か女子野球西日本連盟は2、3年で消滅し、盛り上がりかけた近畿の女子野球は下火になってしまう。チームの数は年々減少し、昭和が終わる頃には神戸レディースは対戦相手を探すのにも苦労する状態になってしまったという。

東京遠征と関西女子野球連盟の誕生

 そんなとき、関西女子野球界に新しい風が吹いた。神戸市の少年野球指導者だった惣谷一夫(現・神戸プロシオン監督)が昭和61年頃、神戸市と三木市の女子学童チーム6つほどを集めて「兵庫県少女野球連盟」を結成したのである。
 神戸レディースが少しずつ大人のチームにシフトしていったのとは別に、神戸市や三木市にはまだ細々と練習を続ける小学生のグループがあったのである。

 惣谷は小学生の連盟を作るだけでなく、平成元年には関西と関東の大人のチームの親善試合も実現した。平成元年、関西は神戸レディースとかつての女子チームの生き残りの選手を集めた全兵庫チームが、東京は関東女子軟式野球連盟の選抜チームが東京で試合をしたのだ。

 この親善試合をきっかけに翌平成2年に全国組織「全日本女子軟式野球連盟」(以下、全女連)ができ、関西も「関西女子野球連盟」を作ってその傘下に入り、初代理事長には惣谷が就任。これ以降、各チームは全女連の全国大会で優勝することを最大の目標にして活動していくことになったのである。
(兵庫県少女野球連盟は徐々にチーム数が減り、平成3年頃に自然消滅した)

神戸レディースからオール兵庫に。たちまち全国大会で優勝

 話を伊藤にもどそう。女子野球西日本連盟がなくなって以来、周りから女子チームが消え、神戸レディースも次第にメンバーが減少していくことに伊藤は危機感を抱いていた。東京での親善試合にも充分な数の選手をそろえることができなかった。なんとかしてチームを立て直したい。そう思った伊藤はチーム名をかえることを決意。平成元年、神戸レディースを「オール兵庫」と改め、再出発した。
「神戸レディースの子たちに加えて、また募集をかけて新しい選手を集めたんです。前からのメンバーが新しいメンバーの面倒をよくみてくれたんで、新チームの雰囲気は良かったですよ」

全女連の全国大会で準優勝旗を返還する森井和美選手(09年)

 余談だが、後に女子野球日本代表(硬式)に8回も選ばれた(平成11~18年)森井和美は、昭和55年、中学1年生のとき、選手募集のチラシを見て神戸レディースに入団した。森井は平成3年に野球協約が改正され、プロ野球が女子選手の受け入れを認めた年に、オール兵庫の同期生、則(のり)淳子と共にオリックスの入団テストを受けた選手でもある。

「オリックスの入団テストは私が勧めたんじゃなくて、あの子らが勝手に行ったんです(笑)。合格はできなかったですけど、確かに森井や則など、うちのチームには抜けた子が何人かいましたね」

 そんなこともあってかオール兵庫は結成当時から抜群の強さを誇り、全女連の第1回全国大会(平成2年)でいきなり優勝すると、平成23年までに優勝7回、準優勝3回と、ほぼ2回に1回は決勝まで進んでいる。
 さらに平成7年に大学日本一との頂上決戦「ジャパンカップ」が始まると、初回から4年連続で日本一に輝いている。

「とにかく勝ち優先でしたから。もう『野球やるからには絶対に勝たなあかん、負けはあかん』と、それを常に言っていました。僕ら高校時代、そう教えてこられましたから。だから若い頃の僕はきつかったです(笑)」。

女子の癖は直りにくい。無理に直さず、生かすことを考える

「普通、癖は直すって言うでしょ。でも女子は直そうと思ったらものすごく時間がかかるんです。男子はちっちゃい頃から野球をして遊んでいるから直せと言われれば感覚的にわかるんですけど、女子はわからない。小学校のときエースで四番なんていう子でも同じです。だから癖はあんまり触らないで逆に生かすようにする。それが男子と女子の違いですね。

 もちろん、こんなことしてたら打てない、守れないというような子は時間をかけて直していきますよ。でもセンスのいい子はほとんどいじらないで方向だけ直していく。そこでいじってつぶしてしまったら何にもならないですから。癖をなんでもかんでも直すというのは、逆に伸ばす原因を押さえているようなものだと思っています。

 たとえばバットが下から出てくる子は極端に言ったらアッパーしかできませんから、練習のときに『ヒットにするのはこのボールやで』と言って低いボールだけ打たせて高いボールは捨てさせる。ピッチャーは必ず低めを投げてきますから、それを打たせればいいんです。

試合中も練習中も決して声を荒らげることはない(11年)

 またソフトボールをやっていた子は、グラウンドが小さいから捕ってすぐ投げるという指導を受けていますよね。だから肘を張って投げるというのが苦手で、すぐ担いでしまう。だから遠くに投げられない。そういう癖は直すように指導はしますけど、直らないときは、その投げ方でも使えるところにポジションを変えます」

 精神面の指導で男子と違うところはあるのだろうか。
「あります。女の子は怒られるとくさりますから(笑)。だから練習では怒って怒って指導してもいいんだけれども、試合のときはもう絶対に怒ったらだめです。くさらせてしまったら一試合全部、その気持ちでいってしまうから。もどってきたときにちょっと注意するくらいで、逆におだててのせていく。
 声のかけ方とかあるんです。『今このボール打ったからこないなったんやろ。ほな次、こっちのボールを選択していってみ』みたいなかたちで、失敗を責めずに気持ちよくプレーさせる。

 さじ加減? 難しいです(笑)。昔はそれがわからないから、ただただ厳しくしてやめる子もいましたけど、十数年前でしたか、やっとそういうものがわかるようになりました」

信念をもってやる。それがポリシー

「僕、一番みるのが運動センスです。野球が下手でもすばしっこいとか肩が強いとか足が速いとか、もって生まれた運動センスのいい子がいるんですよ。そういうなかには教えていくうちに野球勘を感じさせる子が必ずいる。そこの見極めですね。
 それで、この子は育つと思ったら徹底的にやらせます。反対する人がいても自分の目を信じて育てていきます。特に上手くない子を教えてその子が活躍するようになるとうれしいですね。だからポリシーを聞かれたら『信念をもってやる』ということでしょうか」

 こんな話がある。
「少年野球をあがって中学1年で入ってきた川添という選手がいたんですが、入ってきたとき、肩が強くてすばしっこいなあという印象を受けました。全体的に上手いけど、めちゃくちゃ上手いというほどではない。でも使っていったら伸びるだろうなあという子でした。

オール兵庫の攻撃。全女連の全国大会にて(10年)

 それでサードに入れて使っていたんですけど、ある時キャッチャーがいなくなったので、川添をコンバートしてエースの芝本とバッテリーを組ませたんです。本人もびっくりしていましたけど周りもびっくりしていました。なにしろキャッチングが下手だったんです(笑)。

 でもそこはじっくりと、本当に脇について捕り方からサインプレーのやり方からみんな、全体練習が終わった後に別個で教えました。もちろん配球も教えました。ピッチング練習のときにバッターを想定して組み立てさせるんですよ。それでこのボールを打たすのならどういう入り方をしたらいいか、勝負球が使えるまでどうやって組み立てたらいいか、実際に投げさせながら教えました。

 でも関西の大会ではけっこう負けて(笑)。周りには『あの子でほんまにいけるんかな』っていう反発がけっこうありましたけど、失敗してもずっと使いきりました。そんなの聞いてたら人を育てられないし、目標は全国大会で優勝することでしたから、それにはこれしかないと思っていたんです。

 だから川添、芝本のバッテリーで全国大会で優勝したとき(平成19年)は本当にうれしかったですね。反発していた子たちも『監督ありがとう』って言ってくれました。そこからまたメンバーの信頼関係もできていきましたね。それが一番思い出に残っていることです」

「絶対我慢」で引っ張る連盟とチーム

 平成22年、伊藤は関西女子野球連盟の理事長に就任した。惣谷一夫が体を壊し、「引き受けてほしい」と頼んできたからだ。理事会も満場一致で伊藤を承認し、連盟は新たなスタートをきった。

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「みんなが力を合わせてくれて、ものすごくいい連盟になっていますね。大会もしっかりできるようになったし。今は中高生チームもふくめて14チームが加盟していますが、これは今までの歴史の中で一番多い数字です」

 連盟の運営で心がけていることは何だろう。
「僕は何々しなさいという言い方はしないで、ほとんど自主性に任せるんです。その子がこんなことをやりたいというならやらせてみて、だめならだめで本人がわかるから、そのとき初めて僕のところに聞きに来る。それを待っているんです。

 悩んで悩んで聞きに来て、それで成績につながっていったら、『あ、理事長の言うことを聞いとったらええねん』と思ってくれる。そんなふうにしてリーダーになる子を3、4人作って、あとはその子たちに引っ張っていってもらうんです。

 チーム作りと一緒ですね。その子のいいところを伸ばしていって、失敗しても待ってやって。
 だからもう絶対に我慢です(笑)。今は僕、年を取って丸くなりましたから、それができます(笑)」

 現在の女子野球界を見て思うことは、
「軟式も硬式も、もっともっとレベルアップできると思います。どこのチームも、見ていてスリリングなプレーができるようになったら、さらに女子野球が面白くなるんじゃないかと思いますね。
 連盟としてはシニアリーグを作って、楽しむ野球ができるようになったらいいなあと考えています」

オール兵庫のメンバーと。監督だけでなく、ベテラン選手が若手の面倒をよくみるチームだ(11年)

    参考資料

昭和54年開催「第1回 女子野球西日本大会」参加チーム
<一般の部>
神戸レディース、大阪ドリームガールズA、B、大阪エンタープライズ、
京都レットウイングス、広島メッツ、松山ヤンキース(愛媛)
<少女の部>
大阪ドリームガールズ、南田辺シーグルス(大阪)、京都サンデーズ、
四ヶ郷リリーズ(和歌山)

昭和55年開催「第2回 日本女子野球選抜大会」参加チーム
<一般の部>
神戸レディース、大阪ドリームガールズ、大阪エンタープライズ、
京都挑陵プリンセス、京都レッドウイングス、奈良レッドガールズ、
松山ヤンキース(愛媛)、東京ピンクキャッツ
<少女の部>
神戸レディース、大阪ドリームガールズ、大阪シーグルス、
京都サンデーズ、京都レディースタイガース、和歌山リリーズ、
東京エンゼルス、前橋中央レディース(群馬)

●資料提供/現「神戸レディース」谷(旧姓田尻)幸子代表
●開催日や試合結果などは → こちら

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