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シリーズ 指導者たち⑤

蘇武秀子 (「駒沢学園女子中学、高校 硬式野球部」監督)

生活態度をきちんとする。
良いプレーと強い精神力はそこから生まれます

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Hideko Sobu

昭和30年、宮城県栗原市生まれ。中学1年のときにソフトボールを始め、県立岩ケ崎高校、日本女子体育大学でもソフトボールを続ける。保健体育の教諭として着任した駒沢学園女子高校ではソフトボールチームの監督となり、平成12年4月、ソフトボール部が硬式野球部に移行するのに伴い、同部の監督に。平成21年から関東女子硬式野球連盟副会長。現在2つの社会人ソフトボールチームで監督兼選手としてプレーしている。

(文中敬称略)

中学1年でソフトボールに出合い、夢中に

 走るのが好きでスポーツが得意な少女だった蘇武が、ソフトボールと出合ったのは中学1年生の時のこと。すでにソフトボールをしていた2歳年上の姉に勧められて学校のソフトボール部に入部すると、たちまちその魅力にとりつかれてしまったという。 
  
「ヒットを打ったときのスカッとした気持ち、遠くまで飛んだときの充実感、捕って投げてランナーをアウトにしたときの達成感みたいなものですね。あとピッチャーもやっていたので、三振をとって審判が『アウトォー、バッター三振(さんしーん)』と言うときの感覚がものすごく気持ちよかったのを覚えています」
 

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 負けん気が強く、常にライバルを作って自分を奮い立たせてきた。走るライバル、打つライバル、投げるライバル、勉強のライバル。
「目標ではなくライバルを作るんです。そうするとあの子には絶対負けないという強い気持ちが自然と湧いてきました」

 高校、大学でもソフトボール部に入部し、就職した駒沢学園女子高校(以下、駒沢女子)でもソフトボール同好会の監督になった。
「ところが同好会だから公式戦に出たことがないというんです。自分はずーっと試合を経験してきましたから、試合の楽しさを経験できないなんてありえないと思って」、早速連盟に登録し、大会に出場した。選手は緊張感をもって練習するようになり、やがて同好会は部に昇格。若い教師の情熱が生徒や学校を巻き込んでいった。

突然舞い込んだ女子硬式野球大会への誘い

 それから17年後の平成7年、蘇武は当時校長を務めていた東隆眞(あずまりゅうしん。現・金沢市大乗寺の住職)に呼び出された。
「今度女子の硬式野球大会を開くそうですが、参加しますか?」

 突然の話に驚いたが、「ああ面白そう。やらせてください!」と即答したという。別に昔から硬式野球をやりたかったわけではない。やりたくてもできなかったという思いを抱えていたわけでもない。ただ「プロ野球選手や甲子園で男の子たちがやっているあのボールでできるんだ」という喜びと好奇心で体が震えたという。
 早速部員たちに「やってみる?」と聞くと、さすがに戸惑った表情を見せたというが、「私が強引に引っ張ったところはありますが(笑)、最後は『やろうよ』ということになりました」。

中国チームと記念撮影。蘇武は前列右から2番目。その左は中国の女性監督(平成7年)。

 この女子初の硬式大会(※下段参照)「日中対抗女子中学高校親善野球大会」は、千葉県の短大で野球の指導をしたのち、中国で長年野球を教えていた故・四津浩平(よつこうへい)が、「日本の女子チームと試合をしたい」という中国の依頼を受けて企画したもの。

 しかし当時はまだ女子が硬式野球をやるなど考えられない時代だったため、「貴校のチームをぜひ中国との硬式試合に」という四津の依頼は全国の高校から断られ続けたという。そんななか、駒沢女子と立川女子の二つの高校ソフトボール部が参加を決め、8月24日、記念すべき試合が東京都福生市で行われた。(詳しくは全国高等学校女子硬式野球連盟のサイトを参照。ただし大会名は「日中親善高等学校女子硬式野球大会」と表記されている)。

 とはいえ参加した2校には気持ちの上でかなり温度差があり、「よくぞうちに声をかけてくれた」「がんばりなさい」と学校全体で喜び、興味を示した駒沢女子とは対照的に、立川女子は「軟式ならいいけど硬式は」と難色を示したという。立川女子や四津の依頼を断った高校の心配は無理もなかったが、その分、四津は駒沢女子の前向きな姿勢が「本当にありがたかった」と語ったという。
 
 この大会をきっかけに翌8年には韓国と駒沢女子、立川女子の3チームによる親善試合が行われ、平成9年夏、遂に四津が日本初の女子硬式野球団体である「全国高等学校女子硬式野球連盟」を立ち上げた。同時に駒沢女子と夙川学院高校のソフトボール部、埼玉栄、花咲徳栄、蒲田女子高校の女子硬式野球部による「第1回全国高等学校女子硬式野球選手権大会」も開催されたのである。

 この流れが現在の女子硬式野球の発展につながったことを思えば、蘇武の好奇心と学校の英断が、女子硬式野球の重い扉を開く原動力になったといってもいいだろう。

※約60年前に存在した女子プロ野球は硬式ではなく準硬式だったこと、また立川女子と中国の試合は最終的に軟式で行われたが、駒沢女子と中国の試合は硬式で行われたことから、女子初の硬式大会と位置づけられている。

ソフトボール部から硬式野球部へ。覚悟を決めさせた校長のひと言

 とはいえ、当時蘇武の頭の中に硬式野球をやろうという考えはなく、野球大会はあくまでも年に1回のソフトボール部のイベントという位置づけだった。だからソフトボールより広い野球のグラウンドで投げて肩を壊さないように、「ワンバンでもツーバンでも、とにかくアウトにすればいいからっていって無理はさせませんでした」。

 ところが平成11年秋、東校長が「思い切って硬式野球部にしてみたら?」と声をかけてきた。
「それで生徒にこういう話があるんだけど、どう? と相談したんですが、驚いたことに、そのとき絶対ソフトボールがいいって言ったのは1人だけ。あとは全員が涙を流して『うれし~』って喜んだんです」

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 こうして平成12年4月に女子硬式野球部が発足し、蘇武が監督に就任。ソフトボール部は解散したが、未練はなかった。

 当時女子硬式野球部をもっていたのは神村学園高等部、埼玉栄高校、花咲徳栄高校、蒲田女子高校の4校。いずれも野球経験者の男性監督がチームを率いていたため、蘇武は、いずれしかるべき野球経験者が監督になり、自分はそれまでのつなぎなのだと思っていたという。

「でもいつまでたっても新しい監督の話が出ないんです。だからある時、東校長に直訴したんです、『私でいいんですか? 誰か他の人にお願いしたほうがいいんじゃないですか?』って」
 すると東校長がきっぱりと言った。「いや、先生がやってください」。
 理由は語らなかった。しかし、「それで覚悟が決まりました」。

 目指したのは一人ひとりが自分の役割を果たし、優勝できるチーム。そのため、本やDVDで野球の勉強をし、元プロ野球選手の野球教室にも選手を連れて参加した。ミズノが主催する指導者向けの野球教室にも毎年通った。元プロ野球選手の西本聖にも2年間学校に指導に来てもらった。
「あとはどんどんどんどん、生徒自身がうまくなりたいから勉強していきました」

中学校にも硬式野球部が誕生。中高生が互いに学びあう環境に

 駒沢学園女子中学校に硬式野球部ができたのは9年後、平成21年のことだ。元々高校生に交じって何人かは中学生が一緒に練習していたので、それを見て学校のほうが提案してきたのだという。

「正直、大変だなあとは思いました。でも硬式野球をやりたくてリトルシニアやボーイズなどに入っても、なかなか試合に出られない子がいっぱいいるじゃないですか。でもうちに来れば中学から試合に出られる。そういう機会を与えてあげたいと思って了解しました。ソフトと野球でも二足のわらじをはくことができたんだから、同じ野球のこと、なんとかなるかと(笑)」

上級生が下級生の面倒を見、下級生は上級生を見習うという良いサイクルができている。

 指導者は蘇武のほかに女性コーチが1人。2人ではなかなか手が回らないので、できるだけ中学生を高校生の練習に交ぜるようにしたという。すると、
「一緒に練習させることで中学生がどんどんうまくなっていくわけですよ。高校生は中学生の面倒を見、中学生は先輩に追いつき追い越せで一生懸命練習する。そういういいサイクルが自然とできていきましたね。
 先輩からは野球だけでなく言葉遣いとかものの考え方とか、そういったものも教えてもらえる。思春期の6年間は肉体的にも精神的にも大きく変わる時期ですから、子ども同士が交流するなかで学び合える環境ができたのはとても良かったと思っています」

 指導者として中高生という思春期の女子を抱える難しさを感じることはあるのだろうか。
「男の人からするとすごく難しいって言うんですけど、私は女で、昔からずーっとソフトボールをしてきているので、この年代の子はこんな時こういうふうに動くなとか団体種目における心理面とか理解できるので、特に難しいとは感じませんね。女の甘えみたいなものもわかるから(笑)、指導者としては男の人より厳しいと思いますよ」

弱気は最大の敵。競わせることで強い精神力を養う

 蘇武は弱気を嫌う。自身がいつもライバルを作って成長してきただけに、選手にも、人に負けないだけの実力や精神力をつけることを求める。だからレギュラーの決め方は実力本位だ。

「紅白戦や練習試合のときに打率を出して競争させるんです。守備は練習したらしただけ結果が出るけど、バッティングは力の差や好不調の波が出やすい。『同じ守備力なら打率の高いほうをレギュラーにする』と、選手にもそう言って競わせます。

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 ベースランニングのタイムを測ったり、速い打球はヒットになりやすいという理由で打球の速さを測る測定会もします。バッティングティーの上にボールをのせて、規定の線まで打球が何秒で届くかストップウォッチで測るんです。
 うちはしっかり守ってワンチャンス、ツーチャンスを生かして点を取るチームなんで、それができる選手がほしいんです。

 測定結果はプリントにしてみんなに配ります。数字で示されれば納得できますから」

 測定会は中高生いっしょに行うので、結果の出ない選手にはつらい。しかし、
「自分の弱点や足りないところが見えるので、そのマイナス部分をプラスに変える力を身につけてほしいと思っています。厳しく見えるかもしれませんけど、選手はまだ若くて純粋ですから、目の色を変えて練習しますよ」

 試合のとき、子どもたちの精神的な弱さを叱ることもあるという。
「最初のころの硬式野球大会の時のことですけど、相手チームの外野手がゴロをトンネルしちゃったんです。本来ならば急いで捕りに行かなくちゃいけないのに、その子はその場にしゃがんで泣き出しちゃったんですね。うちのチームでもミスをすると試合中に泣き出したり、それにつられて全員がベンチでメソメソ泣き出しちゃったなんていうこともありました。これには本当にびっくりしましたね。
 女性のこうした感情的な部分、精神的な弱さは、どんどん鍛えて直していかなくてはいけません。

選手にはテキパキと簡潔に指示を出す。

 結局今の子どもたちは良く言えば大事に、悪く言えば甘やかされて育っているんですね。女の子だからと親や指導者にちやほやされたり、やらなきゃいけないこともやらなくていいという感覚で育てられてしまったり。

 たとえば私は三姉妹で、けんかもしたけど3人がそれぞれ姉はお弁当作り、私は玄関の拭き掃除、妹は庭掃除、なんていうふうに必ず家事の分担をしていた。でも今の子たちはほとんどやっていないですね。黙っていても親がやってくれるから何事につけ気づかない、コミュニケーションがとれない。人間関係でもまれていないから精神的な強さもない。それが野球のときに表れるんだと思います」

良いプレーを生む、きちんとした生活態度

「硬式野球部のルール」のクラブ面

 チームには選手一人ひとりに配られるB5の紙4ページにわたる「硬式野球部のルール」がある。「部活内の決まり」「あいさつ」「学校生活」「クラブ面(練習の心得)」「試合に関して」の5項目に分かれたそれには、あわせて約80項目にも及ぶ蘇武から選手にあてたメッセージが書かれている。

「野球だけうまくてもこの先生きていくのは大変です。だから社会人になっても困らない人間に育てるために、まず日常生活をきちんと過ごすこと、そのうえで野球も勉強もしっかりやり、挨拶や言葉遣い、整理整頓などもきちんとやるように細かく書いています」
 
 良いプレーはきちんとした生活態度から生まれる。これも蘇武の持論だ。
「やっぱり生活面をきちっとしていないと間違いなく試合に出てきますよね。あわてん坊の子、感情的な子、諦めが早い子、マイナス思考に陥って暗くなってしまう子。その子のもつ悪い面が全部出てしまうんです。

きれいに手入れされた道具たち。

 でも生活面がきちっとしてくると、優勝を目指して寒い日も暑い日もコツコツ努力を積み重ねることができるようになる。感情もコントロールできるようになって、人としても成長できるようになるんです。

 以前、野球をやりたくて中1から入ってきた子がいたんですけど、勉強は全然好きじゃないし物は片付けない、言葉遣いも良くないという子だったんです。でも先輩からそのつど注意され、勉強しなさいと言われるうちに、生活態度がきちんとして勉強もがんばるようになった。そうしたら野球もうまくなって結果が出るようになったんです。それで高3のときキャプテンにしたら夏の全国大会で優勝することができました」

 同校のOGで、現女子プロ野球選手の大倉三佳、河本悠の2選手も、同じように生活態度をきちんとすることでプレー的にも人間的にも成長し、キャプテンまで務めた選手だという。

自由で伸びやかな女子野球独自の世界を

 創部から12年。駒沢女子は通算108人の選手を世に送り出した。

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「女子プロ野球に行った子もいれば、大学やクラブ、企業チームに行って活躍している子もいます。初めて女子野球を見た人たちが、女子でもここまでやるのかと驚いている姿を見たり聞いたりするのはうれしいし、誇らしいですね」

 その女子硬式野球の礎を築いた四津浩平を、蘇武は尊敬してやまない。四津は平成7年に中国との親善試合が行われたとき、私財を投じて中国チームを招待した無私の人だ。
 また「野球ではなくベースボールを楽しみましょう」が口癖で、男子野球とは別の女子野球独自の世界を作ろうとした人でもある。女子高生の全国大会は、ベンチ入り人数に制限なし、ユニフォームの色は自由。試合前に整列はせず、大リーグのように選手の名前をコールし、呼ばれた選手は走って守備位置につく。また試合が終わったらお互いの健闘を讃え合う…。これらは皆四津が決めたルールだ。何事につけ制限することを嫌い、自由で伸びやかな世界を目指していた。

「人当たりが柔らかくて謙虚なんだけど、内に強いものを秘めていて、外圧が加わればはね返す気概があった。本当に尊敬できる方でした。これから女子野球が発展していくためには学校チームの数が増えることが必要ですが、それと同時に、四津さんが望んでいた男子とは違う伸びやかな女子野球の世界をつくっていくことも大切なのではないでしょうか」

平成24年の部員数は中学、高校合わせて60人を超える。

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