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「女子も甲子園」計画

朝日新聞社・高校野球事務局の挑戦

発掘! 幻の「女子も甲子園」計画

甲子園球場

 もし昔、女子高校生を甲子園でプレーさせようという計画があったとしたら、あなたはどう思うだろうか。まさか! いいね! さてどちら?
 実は本当にあったのだ。しかも朝日新聞高校野球事務局という、日本高野連とともに夏の甲子園大会(全国高校野球選手権大会)を主催する男子高校野球の本丸が、かなり本気で考えていたのである。

「日刊スポーツ」95年10月24日

 日刊スポーツ野球面に「女の甲子園 98年開催へ」の見出しが躍ったのは1995年(平成7年)10月24日のこと。そこには開催に向けて無作為に抽出した全国の5023校(男子校を除く)に、女子(硬式)野球について6項目のアンケートを送付した、とある。6項目の内容はわからないが、事務局は、
「女子野球を始める学校が30校あれば、98年夏の第80回記念大会に合わせて女子の全国大会を開催したい。全国各地区で予選を行い、少なくとも8代表で実施。日程は8月上旬の男子の甲子園練習日をふくめて考える」
 という趣旨の話をしている。

 ここで95年の女子野球事情を見ておこう。当時女子軟式野球チームは子どもから大人まで全国にたくさんあったが、女子硬式野球チームは皆無。もちろん高校女子硬式野球部もない。
 
 しかしこの95年という年は、女子硬式野球元年ともいうべき記念すべき年なのである。つまり同年8月、東京都在住の古美術商、四津浩平(よつこうへい)氏によって、日本初の女子硬式野球大会「日中対抗女子中学高校親善野球大会」が開かれたからだ。

 参加したのは駒沢学園女子中学高校、立川女子高校、北京市第一五八中学(日本の中学&高校に相当)の3つ。前述したように当時日本には女子硬式野球チームはなかったため、日本の2校はソフトボール部員がそのときだけ硬球を握って参加したのだが、この大会を母体として97年、現在も行われている女子高校生の全国大会が発足したのである。
(閲覧者の皆様には日本の女子硬式野球は高校野球から始まったことを覚えておいていただきたい)

 朝日新聞をはじめ、読売新聞、産経新聞、日刊スポーツなどがこの大会を記事にしたが、既存の硬式野球連盟が関わっていなかったからだろう、こうした草の根的な大会を高校野球事務局は知らなかったとみえ、全く別の土俵で女子の全国大会を企画したのである。おそらく日刊スポーツ紙にもあるように、明治大学のジョディ・ハーラー選手が話題になったことも彼らの背中を押したと思われる。

 話をアンケートにもどそう。11月上旬までに回答を寄せた学校は3394校(回収率68パーセント)。12月1日付け朝日新聞全国版では「女子高校野球 チーム結成に関心 170校」という見出しでその結果を紹介している。

 記事によると、女子硬式野球の全国大会に「チームを作って参加したい」という積極派が92校、「チームを作りたいが、どうしていいかわからない」という準積極派が78校の、合わせて170校が前向きな回答をしたという。

アンケートの結果

 グラフにしてしまうとなんとも心もとない割合だが、高校野球事務局が明言していた30校は軽くクリア。

 ではなぜ実施されなかったのか、またそもそもなぜこのような計画が持ち上がったのか。朝日新聞高校野球事務局や朝日新聞社に問い合わせたが、「古い話なので詳しいことはわかりません」とのこと。責任者と思しき渡辺登事務局長に話をうかがうこともできなかった。

 しかし日刊スポーツ紙にその名が出ている田名部和裕・元日本高野連事務局長にお話をうかがうことができたので紹介しよう。田名部氏は、
「この計画はあくまでも朝日の高校野球事務局が進めていたもので、日本高野連は関わっていませんし相談を受けたこともありません。傘下の47都道府県の連盟にこの話を下ろしたこともありません。ただ平成7年といえばちょうど阪神淡路大震災があった年なので、世の中を元気づけようとか野球人気を支えようという思いがあったのかもしれません」
と言う。

「女子も甲子園にという話に抵抗はありませんでしたか?」と問うと、
「日本高野連は男女混合でプレーすることは体力差や怪我などの安全性の問題で認めていませんが、女子部を作って女子だけでプレーすることは全く問題ないとしています。そもそも男女混合で行う競技はヨットと馬術しかないんです。他はサッカーでもバスケットボールでもみんな男女で分かれているでしょう。
 でも夏に甲子園というのは日程的に難しいと思いますね。男子だけでも関係各所や阪神タイガースと日程調整するのがとても大変なのに、そこに女子もといわれても現実的に無理なんじゃないですか」
 と答えてくれた。

 アンケートの結果が出てから1年後の96年12月10日、琉球新報にこの大会に関連する「実現なるか女子の甲子園」という記事が掲載された。それによるとこの段階ではまだ高校野球事務局に大会を開催する意志があり、沖縄県高野連の安里(あさと)嗣則理事長が各校に女子チーム結成に向け協力を呼びかけたとある。しかし安里氏も、
「朝日新聞社や日本高野連から直接チームを出してくれという話があったわけではありません。ただ朝日新聞社が動いているという情報が入り、それなら実現するだろうと思って協力を要請しました。でも呼びかけに応じた高校はなかったですね。なぜ実現しなかったかですか? さあ、何も聞いていません」
 と言う。

 これだけの動きがありながら、理由も示されぬままいつの間にか立ち消えになってしまった「女子も甲子園」計画。上記のグラフを見ると、やっぱりこの数字では社内を説得できなかったのかな、と思ったりするのだが、しかし悪いことばかりではない。実はこの記事やアンケートが高校女子硬式野球の発展に大きな影響を与えたのだ。

 日本で一番最初に女子硬式野球部を作ったところといえば? そう、97年4月創部の神村学園高等部(鹿児島県)だ。学園が創部を決意したのは、神村勲理事長が95年10月の日刊スポーツの記事を読んだから。目的はもちろん、甲子園で行われる女子の全国大会に出るためだ。朝日新聞のアンケートにも「チームを作って参加したい」と回答している。

 同様に埼玉栄高校と花咲徳栄高校を傘下におく埼玉県の佐藤栄(さとえ)学園と、東京都の蒲田女子高校もアンケートに「チームを作って参加したい」と回答し、朝日新聞社や高野連から連絡が来るのを待っていた。
 しかし開催決定の連絡は来ず、代わりに先の四津浩平氏から氏が計画する全国大会「第1回全国高等学校女子硬式野球大会」への誘いが来て、女子硬式野球部を作ったという次第。

 以来4校は当初目指していた大会とは異なるが、四津氏の作った全国大会で優勝を重ね、女子野球界で活躍する多くの人材を輩出してきた。また97年から08年までの12年間、高校女子硬式野球部は全国に5つしかなく、そのうちの4つがこのアンケートによって創部に動いたことを考えても、この計画はとても大きな意味をもつのである。

 では今、高校女子硬式野球の全国大会が甲子園で開かれる可能性は? 残念ながらない。16年現在、春の選抜大会は埼玉県加須(かぞ)市で、夏の選手権大会は兵庫県丹波市で行われていて変更の予定はないからだ。しかし甲子園で戦う素晴らしさをぜひ女子にも味わわせてあげたいという声は根強くある。だから時期を変えて、あるいは決勝だけというかたちで実現する可能性はゼロではない。

 16年、高校女子硬式野球部の数は24になる。
 あなたは甲子園の土を踏みたいと思いますか?

※掲載した日刊スポーツの記事の無断転載を禁じます。

開催断念の経緯 (2016年2月19日追記)

 当サイトの閲覧者から、朝日新聞高校野球事務局が「女子も甲子園」計画を断念した経緯について情報を得たので追記したい。
 事務局は開催に向けてアンケートで前向きな回答をした学校171校(12月1日の新聞発表後に返事が来た学校をふくむ)から50校をピックアップし、面談のうえ、高校サイドの要望や意見を調査したとのこと。
 以下は事務局が開催を断念した経緯を、50校の学校関係者にあてて送った詫び状の骨子である。(文書は朝日新聞社の名前で出されているので、以下、それに従って表記する)

■そもそも朝日新聞社がこの大会を企画した理由は、
①世界のスポーツ界の流れが「女子の時代」になっている。
②全日本女子軟式野球連盟や全国大学女子軟式野球連盟(現・全日本大学女子野球連盟)に所属するチームが約70あることから、女子野球の育つ土壌はあると判断した。(※)
③朝日新聞大阪本社が99年1月に創刊120周年を迎えるため、「120周年記念事業」の一環として開催してはどうかという流れがあった。

※管理人注/朝日新聞社は全日本女子軟式野球連盟の全国大会を第1回から後援しているため、女子軟式野球の現状をある程度把握していたと思われる。

■ではなぜ見送ったのか。
 96年12月に日本高野連(牧野直隆会長)の全国理事会が開催され、「女子野球大会の開催は時期尚早。検討課題とする」という結論が出たことを受け、97年1月8日に日本高野連と朝日新聞社の最終会合がもたれ、正式に見送りが決まった。
 日本高野連の判断の根拠は、「朝日新聞社がアンケートを実施して1年以上たつのに、一向に女子野球が盛り上がる気配がない。171校は本当にやりたがっているのか」というものだった。
 朝日新聞社は「日本高野連が時期尚早と判断した以上、従わざるを得ない」とした。

※管理人注/このコラムを書くあたって取材した田名部和裕・元日本高野連事務局長の話では、この件に関して朝日新聞社から一切相談はなかったとのことだが、実際には複数回話し合いがなされていたことがわかる。

 朝日新聞社は日本高野連とは別な連盟を作って女子大会を運営することも考えたが、文部省(当時)の「学校体育である以上、男女別々の組織で運営されている高校スポーツはない」という見解を崩せなかった、とも述べている。

 同時に煮え切らない日本高野連に痺れを切らしたのか、最終結論が出る直前の96年10月、独自に47都道府県の高野連に女子大会の賛否を問うアンケートも実施している。それによると18の連盟が43~100%開催に賛成、19の連盟が20~100%反対、5つの連盟が判断困難、5つの連盟が無回答となっている。
(%は多分に感覚的なものだが、無条件に賛成、反対というのが100%で、数字が小さくなるほど何かしらの条件がついている)
  
 朝日新聞社や系列の日刊スポーツ新聞社は、あれほど世論をあおるような記事を出したのだから、本来は新聞紙上で見送りになった経緯を発表するべきだったが、それがごく一部の学校関係者にしかなされなかったのは残念だ。
 いずれにせよ、「女子も甲子園」計画は日本高野連の同意が得られずに見送られたことがわかった。しかし日本高野連の判断の根拠はあまりにも曖昧だと思うのは私だけだろうか。
 詫び状の文面から察するに、朝日新聞社の担当者も開催見送りが相当無念だったようである。

 あくまでも私見だが、「野球は男のもの」という偏見がまかり通っていた時代のこと、朝日新聞社とは反対に、日本高野連は女子野球を推進しようとか、開催までに予想される様々な問題を解決しようなどという気になれなかったのかもしれない。

 もしあのとき、甲子園でなくてもこの2つの組織が高校女子硬式野球大会の運営に乗り出していたら、きっと今とはずいぶん違う女子野球の世界が開けていたに違いない。返す返すも残念である。

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