saitou
★2012年3月12日
シリーズ 指導者たち④
斎藤賢明 (「埼玉栄高校女子硬式野球部」監督)
野球は判断力と勇気がものをいうスポーツ。
その力を育てるのが指導者の役目です
Kataaki Saito
昭和32年、福島県会津若松市出身。東京都大田区で育ち、小学校時代に野球を始める。都立小山台高校、武蔵大学硬式野球部でプレー後、佐藤栄学園・埼玉栄高校に地歴公民の教師として着任。埼玉栄高校ではコーチとして4年間、同学園の栄東高校では監督・部長として16年間男子選手の指導にあたる。また同時に社会人硬式野球チーム「全大宮野球団」で8年間プレー。平成12年から埼玉栄女子硬式野球部の監督。平成14年に関東女子硬式野球連盟を立ち上げ、現在実行委員長を務める。
(文中敬称略)
前監督が辞任。突然立った白羽の矢
「僕が女子硬式野球部の指導者になったのは、前任の方(男性)が辞めてしまわれたからです。当時私は栄東高校にいたんですが、佐藤理事長に『やってくれ』と言われて年度末に呼びもどされて、悩んだりする間もなく始めていたという感じですね」
日本で一番早く女子硬式野球部を作ったのは、平成9年4月創部の神村学園高等部(鹿児島県)だが、埼玉栄高校は神村学園に遅れることわずか1カ月で女子硬式野球同好会を立ち上げ、10月に野球部として活動を開始した。「高校生の硬式大会を開きたい」という故・四津浩平(全国高等学校女子硬式野球連盟事務局長)の求めに応じて佐藤栄太郎理事長が決めたことだという。斎藤はその4代目の監督にあたる。
「女子の指導経験なんてありませんから何をどうしたらいいかわからないし、部員は7人ぐらいしかいない。キャッチボールができる子も半分ぐらいしかいなかったんで、とりあえず野球をできるようにしようと思いました。幸い新入部員が入ってきたので、それで14、5人。
最初は手取り足取り、時々ほめながら教えたように記憶しています。キャッチボールの仕方とかフライをどうやって追いかけるかとか、転がってきたボールをどうやって走って捕りにいくかとか、そんな細かなことを一から教えました。今じゃ考えられないことをやっていたと思います」
今は女子硬式野球部専用グラウンドになっている場所も当時は野原同然で、とても野球ができる環境ではなかったという。まさに何もかも一からのスタートだった。
“女子硬式野球の世界”を作るために関東女子硬式野球連盟を設立
そんな状態だから初めの頃は試合をしても全然勝てず、士気はあまり高くなかったという。
「どうやってモチベーションを上げようかと思っていました。
でもみんな弱いなりに一生懸命やっていたし、翌年の春の全国大会(第2回全国高等学校女子硬式野球選抜大会)でうまく優勝できて、それから生徒も、あ、がんばれば勝てるんだっていう雰囲気になりましたね。だからモチベーションの問題は1年もたたずに自然に解消されてしまいました。
でも優勝して思ったのは、『女子硬式野球はまだこの程度の世界なんだ、優勝するのはそれほど難しくない世界なんだ』ということでした。
もちろん女子は駄目だという意味ではないんですよ。ただ勝ち負けより、まず女子硬式野球の環境、世界を作ることが先だろうなというふうに考えたんです」
そのため関東の女子硬式野球部をもつ他の3つの高校(花咲徳栄高校、駒沢学園女子高校、蒲田女子高校)に声をかけ、平成14年に関東女子硬式野球連盟を立ち上げた。
「最初は連盟とはいえないようなものだったんですけど、女子硬式野球を推進するエンジンを作らなくてはという気持ちでした」
春と秋開催のリーグ戦「関東女子硬式野球選手権大会」(平成18年から読売巨人軍が後援してヴィーナスリーグという愛称に)も新設。当時開かれていた女子硬式野球の国内大会は春と夏の高校生の全国大会(全国高等学校女子硬式野球連盟主催)しかなかっただけに、一年を通して安定して公式戦ができる環境ができた意義は大きかった。
さらに「どうやって女子野球の世界を広げようかと思って、卒業生にクラブチームを作るように勧めました。彼らの受け皿になるチームが必要でしたし、クラブチームはやりたい人が集まればすぐにできますから、様々な準備が必要な学校チームより簡単に作れると思ったのです」。
こうして高校OGを中心に「侍」などたくさんのクラブチームができていき、平成18年には埼玉県の尚美学園大学に関東初の大学チームが、19年には企業チーム「アサヒトラスト」が誕生。その一方でプロ野球選手・吉田えりの誕生などに刺激を受けた硬式志望の中学生が増加。平成21年、連盟はその育成にも着手した。
平成23年秋のヴィーナスリーグ参加チームは高校、大学、クラブ、企業、中学合わせて25。斎藤が蒔いた女子硬式野球の種は様々な人々の心の中に根を下ろし、多様な花を咲かせていったのである。
決められたことは杓子定規にやる女子たち。だからこそ必要な指導がある
男子の指導歴20年の斎藤の目に、女子選手はどのように映ったのだろう。
「今の選手は違いますが、初めの頃の選手は指示を待っていることが多かったですね。たぶん経験が少なかったからだと思うんですが、誰かがノックしてくれるのを待っていたり、誰かがこうしようと言わなければ動かなかったり。
また女子選手は順序を必要以上に大事にしたり、決められたことを杓子定規にきちっとやろうとする特質ももっていると思います。たとえばウォーミングアップだとすれば、あったかくても寒くても同じにやるんですよね。自主練でも時間が1時間あるとすると、一つのことをずーっとコツコツやっている。
男子はそうじゃないと思いますね。たぶんこれとこれを15分ずつやってというふうにするんですよ、飽きるから(笑)」
最初は女の子って練習が好きだなと思いながら見ていたが、次第に疑問が湧いてきたという。
「確信はないですけど、野球というスポーツにおいては指示を待っていたり、決められたことに疑問をもたずにやり続けるというのはマイナスなような気がします。なぜなら試合中、この場面でどうしたらいいかということを考えられなければチャンスを広げることもできないし、ピッチャーとの駆け引きに勝つこともできないからです。
だから指導者は常に選手に『考えさせる』ことが大切です。男子はもちろんですが、女子はその特質を考えると特に、日頃の練習でいかに考える力を育ませるかを考えるべきだと思います。一つのことをコツコツやっている選手についても、一生懸命やっているからこれでOKだと思ってしまいがちなんですが、終わってみれば結局それしかやっていなかったということになりかねない。指導者は選手が何を考えてその練習をしているのか注意して見てやらなくてはいけないのです」
試合を決めるのは判断力と勇気。その育て方
「僕は野球っていうのは最も難しいスポーツだと思うんですよ。試合のなかで様々な状況が出てきますから。だからこそ練習のなかでいろいろなことを考えていったり、臨機応変に自分の判断で動いたりできるようにしなくてはいけない。
また大事な場面でタイムリーヒットが打てるかどうかっていうのは、バッターボックスに立ったとき、たとえば、こんな球が来るだろう、だからこういうふうに打ってみようという自分の感覚を信じて勇気をもってバットを振れるか、という部分が大きいと思うんです。だから失敗を恐れずにチャレンジすることもできるようにしていかなくちゃいけない。
結局試合って最終的に判断力と勇気がものをいうと思うんです」
では判断力や考える力はどうやって育てればいいのだろうか。
「疑問をもっていろいろなことをやってみることだと思います。決められたことだけでなく、違うことをやっていくなかで何かヒントをつかめると思うんです。
そのためにうちの部では監督、コーチが必要以上に練習、試合に介入しないようにしています。選手自身にノックや打撃投手をさせるのはもちろん、フォーメーション練習に至るまで自分たちだけで運営させています。
また女の子は一つのことを徹底的にやるので、時折目標をアドバイスをしてあげるだけで一直線に伸びることがよくあります。
野球にはこうしたいというイメージがありますよね。たとえばこういうボールを投げたい、こういうふうに飛んでいく打球が打ちたいとか。そういうものを自分なりに達成するために、では腕はこういうふうに振ってみようとか、こういうスウィングができるようにしようという漠然とした目標がある。その目標を明確に、具体的にしてあげるんです。
アドバイスするタイミングですか? 毎日練習を見ていると、あれ、この選手は昨日と変えてやっているなっていうことがわかりますよね。なんか考えていそうだなって。そうすると『どうして今日はそういうふうにやっているの?』と聞いてみます。そして、あ、それなりに考えてやっているんだなあと思うと、『じゃ、こうしてみる方法もあるよ』とか『こうするとこういうふうになるんだよ』とか、アドバイスするんです」
勇気はどうすれば育つのだろうか。
「たとえば選手が有利なカウントの時に難しいボールに手を出して中途半端なバッティングをしたとします。以前は『ここは打つ場面じゃないだろう』って理屈で教えていたんですが、そうすると次はいい球でも打たなくなってしまうんです。勇気をもってバットが振れない。ミスしないようにってなっちゃう。
それで理屈だけ教えていたんじゃだめだということがわかったんです。野球はイメージのスポーツですから、まずバッティングのイメージを作るような言葉のかけ方をします。『さっきは打ちにいったのは良かったんだけれど、中途半端に当てただけだったよね。あの球をしっかり振るにはどうすればよかったんだろうな』というふうに。そのうえで繰り返し成功体験を積ませる。時間はかかりますが、それが勇気につながっていくんですね」
全国大会優勝8回。プロとも互角に戦う強さの秘密
埼玉栄高校は高校生の春の全国大会で4回、夏の全国大会でも4回優勝し、特に平成23年は夏の全国大会と11月に行われたプロアマ混合の「第1回 女子野球ジャパンカップ」でも優勝するなど、その強さが際立っている。が、
「打って捕って投げるだけなら必ずしもうちはトップじゃないです。同じユニフォームを着せて他の学校の選手と一緒にグラウンドにばらまいたら、うちの選手はたぶん優秀な選手には選ばれないと思います(笑)。
だけどうちの選手は試合になるとたぶんやるんですよ。たとえば形として現れたのが女子野球ジャパンカップの決勝戦の時。3回の裏、ノーアウト一塁の場面で二番打者がサードファールフライに倒れたんですが、そのとき一塁ランナーがタッチアップして1死二塁とした。ああいうところはもうランナーの判断なんですよね。内野のファールフライなんて、練習のときは絶対やらないですから。そういう力が育まれているのがたぶんうちの強みだと思います」
勝つためにやっていることはあるのだろうか。
「ありますよ。もうすぐこういう大会があるから勝とうと思っていると選手たちに話をします。そういう気持ちをもたないと勝てないですから。
だけど年間を通して大会で勝つためにこういう練習をしようという感覚はないです。それよりも自分が活動していくうえで底辺にあるものがあって、それをきちんとやっていくことのほうが先なんです。それは日々の活動をきちんとやっていくこと。そしてそれは考える力を養うということなんです。
たとえば冬なんか日が短くて1時間ぐらいしか練習できないんですが、だからこそその中でどういうふうにやるのか考えることがとても大事だと思うのです」
女性指導者の登場が女子野球界を変える
関東女子硬式野球連盟を作った立役者であるにもかかわらず、斉藤は一度も会長職についていない。その理由は何なのだろうか。
「上に立って引っ張るよりも手足になって活動するほうが性に合っているからです(笑)。それに誰かが引っ張っていくより、みんなで楽しみながら作っていくという雰囲気が大事だと思うんです。そのほうがうまくいくだろうと。だからヴィーナスリーグでも優勝チームだけでなく、下位のチームにも野球をやる面白さを感じられるように運営していかなくてはいけないと思っています。勝負ですから難しいところもありますが。
でも本当は女子のスポーツは女性が引っ張ったほうがいいと思うんですよ。女子のことがよくわかるということもありますが、女性指導者が出てきて初めて女子のスポーツとして認知されるし、男の発想とは違う面白い世界ができて男社会からの脱却もできると思うからです。
アメリカのサッカーチームには女性監督が多いそうですね。でも日本の女子硬式野球界は男性がやったほうが手っ取り早いしまとまりやすいからか、なかなか女性監督が出てきません。クラブチームを見ても自分たちで運営していこうという姿勢に欠ける傾向があり、常に男性指導者を求めているのは残念です」
女子野球の発展に必要なピラミッドの頂点と底辺の拡大
長年女子野球という名のピラミッドの土台を作ってきた斎藤は、女子プロ野球という新たなエンジンの登場を歓迎する。
「わかさ生活さんががんばってピラミッドの頂点を作ってくださって、そこから女子硬式野球の世界を引っ張り上げてくださったのは良かったと思います。目指す目標ができたことでチームや選手が増え、モチベーションも上がりましたから。将来的にプロOGの中から優れた指導者が現れることも考えられ、これから世界がグッと変わってくるんだろうなと思います」
その一方でこうも思う。
「やはり底辺を広げるということがすごく大事だと思うんですよ。だからうちの部では埼玉県の学童交流大会のお手伝いをしたり、越谷市や新潟市などで子どもたちと交流会をもったりしてきました。
またどの会も運営の手伝いは生徒たちにやらせていますが、それも底辺の拡大につながると思っているからです。女子野球の発展のために私一人でできることはしれています。でも将来生徒たちが動いてくれれば世界はどんどん広がるでしょう。そのとき、この経験が必ず生きてくると思うのです。
底辺の拡大、つまり人を育てるというのはそういうことではないでしょうか」
最後に女子野球を面白くする方法を聞いてみた。
「ずーっと前から思っていたんですが、女子野球が発展するには絶対バッティングだと思います。ロースコアの試合もいいんですけども、野球の魅力って塁に出て走塁があって、タイムリーヒットが出て、糸を引くようなライナーが飛んでいってとか、そういう要素がすごく大きいと思うんですよ。だからそういう打撃力と走力をもったチームが作れればいいなと思っています。それが女子野球を面白くし、人気も高めると思っています」