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 2012年11月12日

シリーズ 指導者たち⑧

竹中揚子 (「札幌シェールズ」監督)

すべてのことに感謝できる人間になって、
世界の舞台に挑戦してほしいですね

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Yoko Takenaka

旧姓、黒田揚子。昭和49年、北海道札幌市生まれ。小学生のときにソフトボールを始め、札幌市立栄中学校時代は全国大会に出場。当別高校ではインターハイでベスト8になり、国体にも出場した。卒業後は職場のソフトボール部でプレーし、平成9年に女子軟式チーム「札幌シェールズ」に入団。平成13年から監督兼キャッチャーに。平成12~14年、3期連続で女子野球日本代表に選出される。現在北海道女子軟式野球連盟事務局長。

(文中敬称略)

関東、関西と並び、長い女子野球の歴史をもつ北海道

 北海道は平成24年(2012年)現在、軟式クラブチームが7つ、硬式クラブチームが1つある、日本でも有数の女子野球のホットエリアだ。竹中の話に入る前に、少しその歴史を見てみたい。

全女連の全国大会にて(平成24年)

 北海道の女子軟式野球の歴史は昭和52年4月、札幌市に「北海ベアーズ女子部」ができたことに始まる。それに刺激を受けて旭川や深川、北広島などに次々とチームができ、昭和53年以降、毎年4、5チームによる北海道大会が開かれるほど盛り上がりを見せたという。

 この時代に組織的な女子野球大会が開かれていたのは北海道と関東、関西しかなく、それだけに、昭和57年には日本女子野球協会(現在のものとは別組織。その後自然消滅)による全国大会が札幌市で開催されている。

 平成2年には当時「旭川レディース」監督だった浅野俊明が、関東女子軟式野球連盟の川越宗重の呼びかけに応じて、関西の惣谷一夫とともに全国組織「全日本女子軟式野球連盟」(以下、全女連)を立ち上げた。浅野はさらに「札幌シェールズ」(平成6年創部)の石川加奈子とともに、平成10年に北海道女子軟式野球連盟を結成し、理事長に就任(石川は現在副理事長)。正式に全女連の傘下に入るとともに、春秋のリーグ戦も創設した。

 こうして何人もの人たちの手で受け継がれてきた北海道の女子野球は、軟式の全国大会で入賞する強いチームをいくつも出し、またワールドカップなどで活躍する日本代表選手も輩出している。

創部当時は半分以上が初心者。でも志は日本一

 北海道で最も全国大会入賞実績があるチーム、それが札幌シェールズだ。平成24年までに準優勝3回、3位2回と、全国的に見てもその強さは際立っている。
 そのチームを長年にわたって率いているのが竹中だ。北海道のソフトボール界ではその名を知られたキャッチャーだった竹中が、石川に誘われて札幌シェールズに入ったのは平成9年、23歳のときのことだった。

「それまで女子野球があることを知らなかったんですけど、単純に『上から来るボールを打つのって面白そうだな』って思って(笑)。やってみたら本当に面白くて。変化球もいろいろあるし、グラウンドが大きいから打席に立つと距離感もある。軟式野球なのでバットの芯でとらえなければボールが飛ばないし、いろいろな戦術もある。そういうことの一つひとつに感動して、野球って本当に奥深いなあと思いました」

ソフトボールの国体出場経験をもつ竹中はすぐにチームの主軸となり、チームの練習メニューも作ったという

 当時のチームには野球経験者はほとんどおらず、ただ野球が大好きな人間が集まっていただけだったが、
「今までソフトボールでは勝って当たり前の世界でやってきたんですけど、逆に初心者の中に入ったとき、すごい初心に返れたんです。たとえばフリーバッティングのとき最後まで諦めずにボールを追うとか。

 技術的には素人さんの集まりだったけど、みんな日本一になることを夢見て一生懸命練習していたんですね。そういうひたむきさに心打たれて、このチームでやっていこう、みんなで日本一になろう、このチームは私が守ろうって強く思ったんです」

 向上心に溢れたメンバーは本格的な指導を受けたいと、当時社会人クラブチーム「ヴィガしらおい」の監督を務めていた我喜屋優(沖縄の興南高校野球部監督を経て、現在同校の理事長)の指導も受けたという。
「新聞社に勤めていた石川の人脈だったんですけど、毎年ゴールデンウィークには白老に行って基礎をきっちり教えていただきました。それが4年ぐらい続いたと思います」

 我喜屋は技術もさることながら
「礼儀とか思いやりとか、人としてちゃんとすることが一番大事だっておっしゃいました。うまければ勝てるっていうものじゃないんだぞって。あとは花だけを見るんじゃなくて根っこ(基本)を大事にしなさいということも繰り返し言われました」
 それは竹中が尊敬する高校ソフトボール部の恩師の教えと同じだったという。そしてこれが竹中の指導の基本理念となった。

 チームは徐々に強くなり、またうわさを聞いて全道からうまい選手が集まるようになり、全女連の全国大会でも勝ち星が増えていった。

感謝の気持ちや相手を思いやる気持ちがファインプレーを生む

 仕事が忙しくなった石川から監督を引き継いだのは27歳のとき。

碧南大会にて(平成24年)

「指導で一番大切にしているのはやっぱり挨拶とか礼儀、言葉遣いです。ちょっと野球とかけ離れてしまうように見えるんですけど、これって相手を思いやり、感謝する気持ちの表れだと思うんです。それはつまり野球に通じるものなんですね。
 
 たとえばキャッチボールはただ投げて捕ればいいというものじゃなくて、投げるほうは相手が捕りやすいように相手の胸に向かって投げる、受けるほうもどんな球でもきちんと受けようとすることによってうまくなる。試合もあの人がエラーをしたから負けた、あの人が打てなかったからだめだった、と思っているうちは強くなれない。誰かがエラーしても自分がカバーするんだという思いやりの気持ちをもつことによって、最後まで諦めずにボールを追うとか飛びつくとかいうような、気持ちが表れるプレーが出てくるんですよね。

 結局、野球ができるのは支えてくれる人たちがいるからこそ、試合で結果が出せたのもみんなの力があったからこそ、という思いやりや感謝の気持ちがもてるようになれば、こちらが教えなくても自分たちから求めて行動するようになり、上達もするのです」

 監督になって間もないころのことだった。
「技術があってすごくうまい中学1年生が入ってきたんですけど、わがままで素行が悪くて、このまま社会に出すと危ない世界に行ってしまいそうな子だったんです。練習見学もガムをかみながら来たので、口の前に手を出して『ガム出しなさい』みたいなことから始めて、敬語の使い方とか道具を大切にする、遠征のときは靴をそろえるといった、かなり細かいことまで教えました。

全女連の全国大会にて(平成24年)

 なかなか言うことをきかなくてたいへんでしたけど、ちゃんと話せば素直に聞く部分はあったし、やっている行動ほどの性格の悪さは感じなかったので、きっと自分を変えたいんだろうなあとは思っていました。

 すると3年後にはわがままがおさまって、うまくなるために自ら努力もできるようになったので、高校は私の母校に行かせてソフトボール部の監督に預けたんです。そうしたらプレーも人間性もさらに成長して、ある有名なソフトボールの実業団に入って全日本ユースに選ばれるほど立派になってくれました。苦労話も今となっては笑い話ですが、あのときくじけずに信念を貫いてよかったと思います」

 札幌シェールズにいる時間を人間修行の場と考えて、すべてのことに感謝できる人間になってほしいと言う。野球の技術はその次というのが持論だ。

誰にも負けないものをアピールさせ、肯定する指導法

 札幌シェールズは選手の仲が非常に良いチームだ。試合中も勝ったときも負けたときも、みんなの気持ちが同じ方向を向いているような印象を受ける。その秘訣はなんなのだろう。

全女連の全国大会にて(平成24年)

「秘訣というほどのことではありませんが、まず中高生が入ってくるようになっているので、親御さんには『預けた以上、指導はすべて任せてください』とお願いしています。お父さんコーチというかたちで親御さんがチームに入るのもお断りして、一切口出しをしないでいただいています。

 あと女性はグループを作りがちなので、グループに分かれないようにとても気をつけています。以前グループ同士で対立したり仲間割れしていく姿をたくさん見てきたので、それだけは避けなくてはいけないと思っています。だから休憩するときもご飯を食べるときも、何かするときは必ずみんなで一緒にやって、みんなで楽しむようにしています。新しく入ってきた子たちも、その中に巻き込むようにしています」

 それでも試合に出られる人とそうでない人の間で気持ちに温度差が生まれることもあるのでは?
「結局試合に出られないのはいい子すぎて遠慮してしまうからなんですね。入ったときはバンバンアピールしていたのに、同じ学年の子が出ているのに自分は出られないというようなことがあると、へこんでしまって諦めちゃうんです。だから『これだけは誰にも負けないぞっていうものをもっとアピールしなさい』って言います。またそういうものをもつように言いますし、『これができるんだからもっと自信をもったほうがいいよ』とも言います。やっぱり自信をなくすことが一番プレーに影響するので」

坂原投手はジャイロボールでアピールしてきた選手

 そして竹中はそれをしっかり受け止めていく。これはちょっと無理っぽいなと思っても、よほどのことがない限り否定をしない。
「やってみてだめなら本人が気がつくし、気づくことによって次のステップへ進めますから」

 ジャイロボールを投げる高校1年生、坂原朱音投手もアピールをしてきた選手だという。
「『面白い球を投げられるようになってきたんで、受けてもらえませんか?』って。元々変わった球を投げる選手ではなかったんですけど、野球雑誌を読んで自分でいろいろ研究したようです」

 
 人に負けないものや素質を自覚させ、それをアピールさせ、受け止め、肯定していく。こうした指導によって生み出される選手の人間的な成長が、チームワークとなって表れるのだろう。

チームを強くした「ルール勉強」と「実戦シュミレーション」

 かつては全国大会準優勝経験が何度もある札幌シェールズだが、ここしばらく勝ち星に恵まれなかった。しかし平成24年は4年ぶりに全国大会で3位に入賞。

 再び強いチームにするために何をしたのか。
「コーチの数が減ったこともあって、1年ほど前からルールの勉強会を開くようにしたんです。雨や雪の日を利用して月に1回程度、3時間ぐらいでしょうか。

常に選手に声をかけ、コミュニケーションをはかる

 今中学生や高校生の選手が増えているんですが、彼らは投げて打って走ることはできるんですけど、たとえばインフィールドフライやヒットアンドランとは何なのか、そのとき自分がランナーだったらどうしなくちゃいけないのかとか知らないんですね。だから実践的なルールの勉強が必要なんです。

 
 また実際に起こりうる状況を示して、それに対してどう動けばいいのかシュミレーションもさせます。たとえば私はキャッチャーなんで、全国大会に出てくる強いチームがよく仕掛けてくる攻撃を知っています。だからそれを提示したうえで、『ここは進塁させたくない、じゃあどうしたらいい?』とか、『内野はここで何を警戒しなくちゃいけない?』と選手に問いかけたりもします。普段から交流している高校野球や社会人野球の審判の方から実際に起きたケースを教えてもらって、それを勉強会で再現することもします。

 効果はすごくありました。試合後の全体ミーティングのあとに外野や内野ごとに選手がじっくりと話し合うようになりましたから。選手一人ひとりが自覚をもって動いてくれるようになったことが結果につながったのだと思います」

チームを飛び出して世界へ。教え子の背中を押す日本代表経験

 竹中は平成12年に初めて日本代表にキャッチャーとして選出され、「日米女子野球大会」に出場。以後平成14年の「第2回女子野球世界大会」まで3期(第2~4期)にわたって女子野球日本代表に選ばれている。チーム創設者の石川加奈子に勧められたのだという。その石川はすでに平成11年にフロリダで行われた「全米大会」に出場しており(第1期日本代表)、帰国後、メンバーの何人かに国際大会への挑戦を促したのだ。 

「チームエネルゲン」(日本代表)の仲間と。右・山元保美選手、左・鈴木慶子選手(日米女子野球大会・平成12年)

 その結果、札幌シェールズからは竹中揚子、小川雅子、金由起子、志村亜貴子、三木ゆふといった日本代表や代表候補選手が生まれていった(金、志村の2人は平成17年に硬式チーム「ホーネッツレディース」を立ち上げて移籍し、志村は平成24年現在、東京の企業チーム「アサヒトラスト」に籍を置いている)。 

「硬式がやりたかったわけではなくて、世界で戦えるっていう部分で魅力を感じたし、自分の実力がどこまで通用するか試してみたかったんです。選ばれた瞬間、うれしさと同時に『ここからが勝負なんだ』っていう気持ちになりましたね。

 実際に戦ってみると守備は日本のほうがすごくうまいんですけど、外国のチームはバッティングのパワーが全然違っていました。あとピッチャーは球がそんなに速いわけではないんですけど、自分の持ち球を良く知っていて、組み立て方が非常にうまいんです。しかも悪いなら悪いなりの配球をしてくる。その辺はキャッチャーとしてすごく勉強になりました」

 第3期、第4期日本代表チームでは、村上雅則、広瀬哲朗といった歴代監督に指名されて主将も務めた。

中高生が増えているという札幌シェールズ

「選手全員が結果を出してきている人たちだし、みんながキャプテンの意気込みで来ていたので、意識は高かったけどぶつかることもあったんです。そんななかで一人ひとりとコミュニケーションをとって人間関係の調整をしていったので、ある意味お母さん役みたいな感じだったと思います。
 すごくいろいろな経験をして、おかげで精神的にめちゃくちゃ強くなりました(笑)」

 世界に挑戦して自分の未熟さを知ると同時に、成長も感じたという。それだけに、
「シェールズで満足してほしくないんです。今はプロ野球もありますし日本代表も3連覇していますから、どんどん外へ出て行っていろいろなものを見て感じて成長してくれたらうれしいですね」

 子どもたちの世界を広げるために、全日本女子軟式野球連盟が採用している普通より小さいグラウンドサイズを、規定どおりのサイズに直してほしいとも言う。

「中学野球部と掛け持ちしている選手もいますから、グラウンドサイズが2つあるのは選手にとっても指導者にとっても困ったことなんです。規定どおりのサイズにすれば一般の社会人チームとも試合ができるし、国体種目にもなるし、国際大会にも出やすくなりますから、子どもたちの未来のために、ぜひそうしてほしいと願っています」

平成24年の全国大会では3位に入賞

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